41歳冨永愛は「わりと幸せ」 コンプレックスと「生きたいように生きると決めた」理由
息子が厳しいモデルの道へ。「うれしい気持ちはない」
――「セカンドキャリアが見つけやすい世界にしたい」と昨年7月に新事務所、Crossover(クロスオーバー)を設立し、著書では「人生の後半戦の、私の重要な仕事の1つだ」と語っている。その真意は?
冨永:そういったことも考えていかなきゃいけない年齢なんだっていうことかな。自分だけのことを考えていくというよりも、子育てと似ているかもしれないけれど、これから先、ファッションの世界がどうなっていくのかと考えた時に、あまりいい未来が見えてこない。そうした中でモデルの道1本だけだと難しくなる。今私はモデル業以外に色々やらせてもらっているので、その経験が若いクリエイターたちのためになればいいなという思いがあります。
――「100歳になってもランウエイを歩ける私でいたい」という冨永さんの目標は、モデルとしての真の強さが伺える
冨永:昔のショーの様子を見ると、顔つきも歩き方も全然違いますよね。歳を重ねて経験を積めば、表現者として豊かになっていくと思いますね。モデルっていろんなジャンルがありますけど、それが自分だよなって。うん、ランウエイやってなんぼだと思う。モデルをやれたから、この仕事に出会えたから、今の自分があるっていうのはすごくありますし、だから原点ですよね。いつまでもモデルでありたいなって思いますね。
――息子の章胤(あきつぐ)さんもモデルとなり一昨年キャリアをスタートし、俳優としても共演を果たすなど、親子共々活躍しているが、どのような思いがあるか
冨永:私と同じモデルの道に進みたいと聞いたときは、正直うれしい気持ちはなかった。それは今も変わらないです。違う分野に行ってほしかったというのが本音。でも彼のインタビュー記事なんか見ていると、私のことを「尊敬している」って言っていて、私の背中を見てくれていたんだなって、うれしいですけどね。それでもやっぱり畑の広いウィメンズに比べるとメンズは狭き世界。いくら私の息子っていう名前があったとしても、それが助けになるのは2、3年じゃないかって話はしています。そこから自分がどう頑張るかが大事になってくると思っています。