41歳冨永愛は「わりと幸せ」 コンプレックスと「生きたいように生きると決めた」理由
――幸せを感じることが増えたことで、変わったことは?
冨永:少なくとも、怒りや悔しさを感じる割合は減りましたね。自分のエネルギーの100%が悔しいっていう感情だったこともあったけれど、今は7割くらいまで減ったかな。幸せを感じることが増えても、新しいことに挑戦をし続けていて、悔しい思いもたくさんしていて、それはそれで私の原動力でもあるんですよね。
――多くの人が生い立ちや容姿など何かしらにコンプレックスを抱えて生きているが、「自分の生きたいように生きる」ためにどのように考えるといいのか
冨永:それは私にとっても人生の大きなテーマで、私自身の経験の中である程度の答えが見えてきたくらいな感じかな。ただ、誰しもが生きる環境で縛られているもので、そういうものから解放されることで生きたいように生きるということではないんですよ。縛りがある中で、どう生きていきたいのか考えていくということに意味があるんじゃないかなって。自分の判断に後悔してきたことももちろんあるけど、できないことの中で、自分が自分自身のことを信じて生きていけるようになるっていうこと自体が、きっと幸せにつながっていくんじゃないかなって思いますね。
――著書で「運は巡る。いただいた恩は誰かに送る」とある。チャリティー活動などさまざまな活動に精力的だが、人に恩を与えることで、自分に返ってくるという実感はあるのか。またどういったモチベーションで取り組んでいるのか
冨永:実感があるのかと言われたら特にない。でもふとした時に、自分が幸運に恵まれたり、いい巡り合わせがあったり、すごくいいタイミングだったり、きっとそういうことも含めて、こういうことなんだろうなって。自分が幸せになるために誰かに何をするっていうことではそもそもないです。もらったものを他に送っていくっていうこの循環を良くすることで、いい人生、いい巡りになっていくという考え方です。
社会貢献について言うと、恵まれた立場にあり、社会的影響力もある自分が、やるべきことだと思ってやっていることです。それに、自分の今の立ち位置を理解することもできる。そんな見方もできると思うんです。中年期特有の心理的危機を“ミドルエイジクライシス”と言われていたりもしますが、これくらいの年代の方は何においても慣れてきちゃっている年頃。ちゃんとした仕事もあって、お金も生活も充実していて、先のことも割と読めてきている年代。それって幸せなことだと思うんですよ。幸せなはずなんですよね。でもそれに気付いていないだけ。だからクライシスになっちゃう。私は真逆だと思うんですよね。自分がどういう状況なのかという立ち位置やポジションを俯瞰して見ることもできるのが社会貢献でもある。いろんな環境や状況で生まれている人たちに会いに行って、特にアフリカでは自分がどういう人間なのかって思い知らされる。ある意味、自分を知るために行っているかもしれないけれど、恩が返ってくるからやっているわけではないです。でもどこかで絶対返ってくるだろうなって信じているっていうことですよね。