「お前、透析になるんだってな。これで終わりだな」…医師からいきなり難病と診断されたテレビディレクターの「過酷な運命」
「私たちは必死に生きた。しかし、どう死ねばよいのか、それが分からなかった」 なぜ、透析患者は「安らかな死」を迎えることができないのか? どうして、がん患者以外は「緩和ケア」を受けることさえできないのか? 【写真】「俺はさ、バナナをいっきに食べたら死ぬらしいよ」透析患者の突然死の恐怖 10年以上におよぶ血液透析、腎移植、再透析の末、透析を止める決断をした夫(林新氏)。その壮絶な最期を看取った著者が記す、息をのむ医療ノンフィクション、『透析を止めた日』(堀川惠子著)が刊行された。 『透析を止めた日』は、これから透析をする可能性のある人、すでに透析を受けている人、腎臓移植をした人、透析を終える時期が見えてきた人だけでなく、日本の医療全般にかかわる必読の書だ。 本記事では、〈「俺はさ、バナナをいっきに食べたら簡単に死ぬらしいよ」…透析患者につきまとう「突然死」の恐怖〉につづき、林氏が透析をすることになった経緯や透析医療への思いが書かれている。 ※本記事は堀川惠子『透析を止めた日』より抜粋・編集したものです。
生きている奇跡
『透析を止めた日』序章でふれたように、日本は透析患者の人口比で世界3位という透析大国である。1ヵ月の透析には約40万円の費用がかかるといわれるが、手厚い医療費の助成制度があり、患者の自己負担は最大でも月2万円に抑えられている。 単純計算すれば、透析患者ひとり当たり年間で約500万円の公費が支出される。そういう事情もあって、国内では透析患者への誹謗中傷があふれている。「医療費が高騰するのは透析患者のせい」「自分が好き勝手して病気になって、高い保険料を使って生き長らえるのは勝手だ」。これらの批判は、透析患者の原疾患の4割が糖尿病であることが理由らしい(糖尿病には遺伝性のタイプもあるので一概にはくくれない)。 この程度の中傷ならまだしも、もっと過激な発信を目にすることもあった。「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ! 無理だと泣くならそのまま殺せ!」というタイトルのブログ記事を、元テレビ局員のフリーアナウンサーが世に出して騒ぎになったのは2016年のこと。彼らはネット上の情報を寄せ集めるだけで、透析の現場や患者の姿など見たことすらない。こんな酷い表現が間違っても林の眼にふれませんようにと祈るような気持ちになったことを覚えている。 林が透析を導入せねばならなくなったのは、難病が原因だった。 国内に3万1000人の患者がいるとされる「多発性囊胞腎」。液体のたまった袋=囊胞が腎臓にたくさんできる病だ。小さな囊胞は健康な人にも見られ、囊胞自体は悪性ではない。だが囊胞の数が増え、容積が増えていけば、腎臓の機能は低下する。進行を遅らせる新薬が2014年に保険適用となったが、根本的な治療薬はまだない。 この病を発症すれば、一般には60歳代までに半数が腎不全となり、透析や腎臓移植などの処置を取らねば亡くなってしまうといわれる。さらに腎臓に囊胞ができる患者の中には、肝臓にまで囊胞ができるケースもある。林も終末期には肝囊胞に苦しんだ。 林は32歳のとき、会社の健康診断で腎機能の低下を指摘された。体がむくみがちで、妙に疲れやすいという感じはあったらしい。酒の飲みすぎだろうと思って精密検査を受けたら、いきなり多発性囊胞腎という診断が下された。この少し前に前妻との離婚を経験しているから、精神的なストレスも発病の引き金になったかもしれない。 小さいころから大病を患ったことは一度もなかったという。中学からずっと剣道一筋、厳しい稽古を続け、それこそ体力にだけは自信があった。それなのに医師からいきなり難病と診断され、「近いうちに透析が必要になる」と言われて耳を疑った。 多発性囊胞腎は遺伝性の疾患という。しかし、彼の親族に同じ病名の診断を下された人はひとりも見当たらない。ただ林の母、つまり私から見れば義母は、息子の難病の原因について色々と思い悩んでいた。 義母と私はよく二人で食事に出かけ、林には言えぬことまで話のできる仲だった。義母は、自分の両親が近親婚(いとこどうし)だったことが原因ではないかと疑っていた。昔は確かな診断がつかなかったから、林と同じ病気だった親族もいるかもしれないと私にこぼした。医学的には近親婚によって発症確率が高まることはないとされるが、「遺伝性難病」という言葉は、お腹を痛めて林を生み育ててくれた義母を苦しめたのではないかと思う。 今回の取材を機に林が保管していた医療データを整理していると、彼が透析を導入する直前の血液データがあった。1995年11月の日付だ。 クレアチニン9.6mg/dL、尿素窒素100.9mg/dL、尿酸8.3mg/dL、カリウム5.5mmol/L、リン6.8mg/dL。すべての数値が前月より悪化傾向にあって、貧血も進んでいる。検査結果に添えられた医師の手紙には、「自覚症状が現れた時点で透析を開始すべきと思います」と書かれていた。同月、林は透析を導入。38歳のときだった。 人生に透析という予想外の出来事が起きて、林の人生は一変した。彼の後輩から聞いた話だが、若いころは報道番組のディレクターの中でエース格と目されていたらしい。支局勤務は初任地の大阪と神戸だけ。数年で東京に戻り、次々に大型番組を任された。 だが病が進行するにつれ、産業医から「勤務制限」がかけられた。ディレクター業を続けることが難しくなり、かなり早い時期に内勤のプロデューサーに転身せざるをえなくなった。病気のことが仲間たちに知られるようになると、林のライバルとされていた同期のディレクターがわざわざ彼のデスクまでやってきて、こう言い放ったという。 「お前、透析になるんだってな。これで終わりだな」 この章では冒頭から、私が林を通して透析を知り、戸惑ったことばかり羅列したので、透析医療への拒否感を強めてしまったかもしれない。透析=死へのカウントダウン、そんな偏見は今も根強い。しかし、透析という医療があったおかげで私は林に出会うことができた、そのことは改めて念を押しておかねばと思う。 彼の血液検査のデータの傾向を見てみると、32歳で難病の診断を下されて以降、腎機能はじわじわ下がり、30代後半から一気に悪化している。透析がなければ寿命は40代早々には尽きていただろう。しだいに尿が出なくなり、尿毒症で仕事もできなくなり、やがて死に至ったはずだ。 他人から見れば、60歳の死は早い。「気の毒に」と思われるかもしれない。それでも、治療法のない遺伝性難病という、誰も責めることのできぬ過酷な運命を背負わされた者が、透析をしながら最後までテレビ報道の第一線で仕事を続け、60歳まで生を全うすることができた。私にとって、おそらく彼にとっても、与えられた一年一年は宝物のようだった。あんな濃密で輝いた時間は、もう二度と体験しえないとも思う。 もし林に出会うことがなければ、私自身の人生もまったく違うものになっていたはずだ。テレビ業界で、ただ華やかで忙しいだけの自分に満足して生きていたに違いない。 出会ったころ、林が私を挑発するように突き付けてきた言葉を折にふれ思いだす。 「君はどんなテーマでも80点の番組に仕上げる力がある。だがな、80点の番組を量産しても、放送した先から消えていく。来年には誰も覚えちゃいない。視聴者の記憶と歴史に残るのは、100点の番組だけだ。俺のところに90点の番組を持ってこい。そうすれば全力で100点まで引き上げてやる」 この言葉に奮起して、私は民間放送での仕事をすべて止めた。長年こころに温めてきた企画をテーマに据え、取材を重ね、林と二人三脚で臨んだ。そして数年後、NHKでテレビ界の賞を極めるドキュメンタリーを作ることができた。ひとつの頂に登れば、もっと高い峰が視界に入ってくる。林が私に見せたかった風景はこれだと思った。 実は先の辛辣な言葉のあとで、彼はこうも付け加えた。 「君を使いたいと思うプロデューサーは山ほどいるだろう。だがな、君を育てようと思っているのは俺だけだ」 椿三十郎ばりの台詞は、今も私を励ます。仕事の仕方も、生き方も、彼と出会って根底から覆された。 透析は、本来なら間違いなく死んでしまう人を、何年も、何十年も、生き続けさせることのできる革新的な医療である。「1か2」ではなく「0か1」。そこには量的な違いではなく、生か死、という根源的な違いがある。 透析医療の黎明期、つまり透析が保険適用となる1967年より以前、貴重な透析器は全国どこにでもあるものではなかった。保険適用されたあとも、現在のような助成制度はなく、経済的に誰でも受けられる医療ではなかった。多くの腎不全患者が、希望の光を遠くに見ながら無念の死を遂げてきた。そして透析を受けることのできた幸運な患者ですら、1年生存率は5割に届かない時代が続いた。 無数の犠牲と、医療者の努力によって、透析医療は進歩してきた。そして今、透析は世界中で何百万もの命を救っている。それも、ただ生きられる、というだけでなく、林のように働き盛りの患者たちの社会復帰までも可能にした。 透析機器は年々進歩している。合併症への薬物治療の選択肢も増え、運動療法や食事療法にも改善が重ねられている。2022年末の統計では、10年以上の透析歴をもつ患者は27.6%、3人に1人の割合に迫る。1992年には1%に満たなかった透析歴20年以上の患者も8.6%に増加、今や透析歴52年を超える患者もいる。「透析十年」という言葉は、とっくに昔話だ。透析は、もはや単なる延命治療とは言えない。 私は、林に出会わせてくれた透析という医療に心から感謝している。だからこそ、透析医療の出口までを真剣に問いたいと思う。 * 連載記事〈「早朝に通院、4時間の透析を終えて出社」「飲みたいのに、水も飲めない」…多くの人が知らない「働く透析患者」の過酷な生活〉では、過酷な透析医療の現実が書かれています。
堀川 惠子(ノンフィクション作家)