組員から「どこに住んどるんか」「子供おるんか」 特別扱いやめた市民の勇気と覚悟 工藤会トップ逮捕から10年
■組員への特別扱い やめると・・・ 野口さんは、一般客も含めた手洗い洗車をやめることを決断。 組員にも伝えました。 野口石油 野口晃司 社長「『おい、お前どういうことや』ということでこの辺まで近づいてくるんですよね。『どこに住んどるんか』『子供おるんか?』『おりますよ』みたいな。その時はちょっと子供とかに被害が当てられたら困るなと思いました」 脅しに屈することなく、野口さんが毅然とした態度をとり続けた結果、言いがかりをつけられることはほとんどなくなりました。 野口石油 野口晃司 社長「彼たちに好き勝手させたくない、やっぱり自分で経営する以上はいろんなお客さんが喜んで来られる店にしなくちゃいけないという使命感でしょうね」 ■暴追運動のリーダー宅に銃弾 野口さんのように「暴力団に屈さない」という暴追の機運が高まる中、暴追運動のリーダー宅に銃弾が撃ち込まれるなど、工藤会側の反発もありました。 当時、暴追運動の中心メンバーとして活動していた男性は、市民の声を暴力でねじ伏せようとした行動がかえって運動を加速させたと振り返ります。 暴追運動に参加していた男性「そういうことで怯むこともないし逆に増えました。暴追の集会に参加する人が、550人から650人に、100人増えたからね。子供や孫たちを守ってやらないといかんということで、みんなが出てきているからね」 ■当時の捜査の指揮官は 当時、福岡県警で捜査の指揮をとった尾上芳信さんは、新たな被害者を出さないよう組織のトップらを検挙することに注力していたと話します。 福岡県暴力追放運動推進センター 尾上芳信 専務理事「テロともいえるようなこのような事件を止めるためには指示をしている総裁の野村、会長の田上の身柄を押さえ長期刑に持っていかないと。これまでやってきていない捜査手法も含めてどうやって事件を検挙していくか知恵を絞りました。」 「鉄の結束」を切り崩し、組織内部から得られた証言などの状況証拠を積み重ね、ついに「そのとき」が訪れます。