「社員よりもタミヤに詳しい」元テレ朝アナが語る「プラモデルのイメージを“子どものおもちゃ”から変えたい」
第2回【Nステで「久米宏」と共演した元人気アナが、模型の「タミヤ」会長から「日本一のタミヤファン」と称される理由】からの続き 【写真を見る】タミヤ歴史館で熱く語る姿と、松井さん秘蔵の懐かしのタミヤキット写真など 今年3月、株式会社タミヤの模型史研究顧問に就任した、元テレビ朝日アナウンサーの松井康真さん(61)には夢がある。1989年に竣工した同社本社内に設置された「タミヤ歴史館」の充実化だ。第2回記事では、絶版キットを3000個買い集め、自らタミヤの歴史を紹介するHPを立ち上げるまでを紹介したが、「タミヤの社員よりもタミヤの歴史に詳しい」と言われる松井さんの、今後にかける思いを聞いた。(全3回の第3回)
歴史館を何とかしたい
「私も60歳を越えて『ご趣味は?』と聞かれることがあります。こんな時、『油絵です』とか『テナーサックスを少々』なんて答えると『いい趣味ですね~』という言葉が返ってくるんですが、『プラモデルを作っています』というと間違いなく微妙な空気になります(笑)。少し間があってから、『あ、そうなんですか』となる。油絵は絵の具と画材を使っています。プラモデルは素材がプラスチックなだけです。でも、芸術とまでは言わないが、昔から完成度も高く、プラモ作りは奥が深い。いまだに“子どものおもちゃ”というイメージが強いのですが、プラモデルという趣味の社会的立場を“普通”にしたいと思っているんです」 数年後の定年を控え、毎年のようにタミヤの田宮俊作会長(89)から「定年後はウチを手伝ってくれないか」という話をもらっていたが、ではタミヤでできることは何だろうか――松井さんは考えてみた。 「そこで思ったのが、35年前に社内に開設された歴史館をなんとかしようということ。展示してあるのは、まさにタミヤの歴史です。現在は生産・販売していないものだけで、ここにしかないものばかり。ですが、少なくとも最近10年程はほぼ手つかずになっており、アップデートがなされていないのです。国内はもちろん、世界に誇るタミヤの歴史を散逸させないために、歴史館を何とかしようと思いました」 歴史館では、タミヤが創業間もない1950年代に販売していた木製模型から、1962年に発売され、内蔵モーターで駆動するプラスチック戦車の第1弾である「1/35パンサータンク」などの貴重なキット。さらには車やオートバイ、艦船などが展示されている。まさに、ジャンルを問わずに高品質のプラモデルを世に送り出してきた、タミヤの歴史が一望できる空間である。 「しかし、歴史館には専従の社員はいません。現役社員の皆さんは、目の前の仕事に追われていることもあり、歴史的・体系的にタミヤの歴史を知っている社員もいないし、社史編さん室もありません。ならば、公式ガイドブックを書いて、おそらく現役のタミヤ社員よりも、会社や製品の歴史について詳しい私が、正確なタミヤの歴史を残したいと思ったのです。先輩社員たちのご尽力もあり、現在の歴史館はタミヤの歴史の大部分を網羅していると思います。ただわずかに抜けているところこそが難しい、そこを私が埋めて完璧にしたいのです」 ここで、松井さんが収集してきた生産停止キットが大きな役割を果たすのである。