特攻に散った19歳の少年飛行兵 弟を悼む石碑と母への最後の手紙
RKB毎日放送
特攻隊の一員として19歳の若さで亡くなった男性の慰霊碑が福岡県北九州市の神社にあります。 【写真で見る】特攻に散った少年飛行兵 弟を悼む石碑と母への最後の手紙 慰霊碑のそばにある石碑には亡くなった男性の姉が詠んだ短歌が刻まれ家族を失った哀しみを伝えています。 ■空への憧れ 多くの若者が志願 福岡県北九州市八幡西区の杉守神社にある慰霊碑。 当時の遠賀郡出身の中村正直さんは1945年=昭和20年に特攻隊の一員として戦死しました。 慰霊碑のそばに正直さんの姉上村キミコさんが建てた石碑にはその日のことが詠まれています。 【石碑に刻まれた短歌】 スマトラ島当たり当たりと通信す二時間後、家に記者来たり 正直さんは1941年4月、16歳の時に東京陸軍航空学校に入り、通信を担当する少年飛行兵になりました。 当時は日米が開戦する前で、空への憧れを抱く多くの若者が志願していました。 上村キミコさんの息子で中村正直さんの甥 上村一さん 「少年飛行兵の試験を受けて合格した。その辺の心境は分からないですけど、難しい環境だったかもしれません。自分の意志とかどういうことをしたいとかあったと思うんですけど、日本の状況とか家族を守るとかあったかと思います」 ■10代で死を覚悟して書いた手紙 1943年12月、正直さんはマレー半島の部隊に配属されます。 この時、正直さんが母親宛に書いた手紙が7月、「北九州市平和のまちミュージアム」で公開されました。 【母親宛ての手紙】 「母さん御安心下さい。正直は必ず勇奮健闘します」 「御母さんのご健康を祈ります」 北九州市平和のまちミュージアム 小倉徳彦 学芸員 「若い10代、自分の家族、妻や子供はいないということで、お父様はすでに亡くなられていたようですけど、お母様宛に書かれた。南方の部隊に配属になった時に南方に行く直前に書いたもの。激戦地ですので、10代後半の若い少年兵が自分の戦死を覚悟して書いた」 ■人間の命が極端に軽くなった時代 戦局が悪化の一途をたどり、陸軍でも特攻隊が編成されはじめる中、正直さんはスマトラ島の基地に移ります。 そして、1945年1月29日、正直さんの部隊は重爆撃機6機で出撃。 敵の艦船を見つけて突入しようとしますが、全て撃墜されました。
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