農業ベンチャー社長が語る「農家はやめとけ」とみんなが言う本当の理由
「世界一の農家になったら?」と母親に言われて…
小竹:どんどん楽しみを深めていって、京都大学農学部に入られたのですよね? 西辻:高校のときに約 5坪くらいの畑で野菜作りをしていたのですが、学校に行く途中に使っていない畑を見つけたんです。大きな畑で野菜を植えたいと思っていたので担任の先生に、「あの畑を使って野菜を作りたい」と言ったら「それは農家っていう仕事よ」って言われて。そのときに「農家いいね」と感じたのが、僕の職業に対しての憧れの第一歩なんです。 小竹:野菜作りの楽しみから、それをちゃんと仕事にするにはみたいなことが高校のときに? 西辻:そう。ただ、高校1年生なので、商売のしの字もわからない。農家が儲からないとか大変とか、そんなことは全然わかっていなくて、たくさん作れる人たちなんだという認識しかしていなかったです。 小竹:5坪から500坪に変わるなんてすごいじゃんと。 西辻:そうそう。それで母親に「学校の先生から農家いいよって言われた。農家になりたい」と言ったら、母親が「なんていい仕事なの」と言ってくれたんです。 小竹:素敵な言葉ですね。 西辻:あの言葉が僕の人生を変えたと思います。「やさしいし待つ力があるからあなたにぴったり」と言われて、その後に「せっかくやるなら、世界一の農家になったら?」と言われました。 小竹:また素敵な。 西辻:めちゃくちゃいい親ですよね (笑)。「世界一の農家になるにはノーベル賞を獲らないといけない。自分にしか作れない種を作らないとね」って。ノーベル賞が一番よく出ている大学に農学部あるからという理由で京大農学部を薦められたんです。 小竹:当時はやはり京大農学部が一番ノーベル賞に近い感じだったのですか? 西辻:今でこそ、いろいろな大学でノーベル賞が出ていますが、当時は理系の研究と言えば “変なことをする京都大学”みたいな感じでしたから。 小竹:実際に入学して、ノーベル賞を極める学びを得ることはできたのですか? 西辻:これが残念ながらできてなくて…。大学に入ってみたら、いくつか衝撃的なことがあったんです。まず、農学部に入った友達は、誰も農業をしたいとは思っていない。 小竹:農学部に来ているのに? 西辻:理学部に落ちたからとか、部活をやりたいからとか、安定的な道だからみたいな理由で来ている人が多くて。農業実習に行っても僕が積極的に前に出て、みんなはやらずに後ろにいる感じでした。「俺、農家になりたいんだ」みたいな話をすると「やめなよ」って言われるんです。学校の先生にも「農家になりたい」と話をしたら「やめとけ」って言われる。「研究を極めろ」とか言われる。 小竹:そういうことなんですね。 西辻:ノーベル賞を獲るような種を作って、すごい農家になると思っていたのですが、種の開発は何十年もかかるらしいんです。何十年もかかることに人生を捧げるのは研究者の道だと思ったので、僕は農家になりたいから種を作るのは手段でしかない。そうすると、手段に何十年も捧げるよりも、本来の目的をもう一度見直したほうがいいと思いました。ノーベル賞を諦めて、農家になるという本来の目的にもう一度戻ることにして、院には行かずに卒業しました。 小竹:なるほど。でも、4年間でいい学びはありましたか? 西辻:京都大学って書いてあるのに、「大阪高槻農場」というのがあるんです。みんなは京都のほうで勉強をしているのですが、僕は高槻農場にいたんです。そこはいろいろな作物を栽培できる場所で、稲作も果物も畑もやったりできる。しかも、企業との共同研究やほかの研究室が試験的に栽培してほしいものなどが集まってくる。ここに僕は自分から行っていろいろなもの触れたので、この経験は僕の今後にとても役に立ちました。 小竹:そんなにいろいろなものが集まる場所はなかなかないですもんね。 西辻:日本の農業の悪いところなのですが、農家はお米を栽培しろってなるんです。今ってオールマイティーに、マクロに見てミクロを見られる人が大事になっているので、僕はそのときにマクロが見られたのはすごくよかったと思っています。 小竹:リスクも含めて多品種を植えていらっしゃいますが、育てる楽しさとなるとさらに多品種になることも? 西辻:いろいろな作物を楽しめたほうがいいという考え方はまず1つですし、1つのものだけ作って全部病気で枯れるよりは、いくつか植えてリスクヘッジするという考え方もすごく広がってきていますからね。