「高校2年で100公演超に参加」「肉体労働で軍資金をつくった」 高校2年間で300万円「伊藤蘭」に貢いだ彼の凄すぎる半生
そこで1975年(昭和50年)、5枚目のシングル『年下の男の子』をリリースするにあたり、お姉さんキャラだったランをエースに据える大胆なイメージチェンジをはかります。この策が奏功し、オリコンランキング9位にまで上昇。初のベストテン入り、初の紅白歌合戦出場を果たしたのです。 「デビュー時ですでに日大芸術学部に入っていたランを中心に置き、アイドル側がファンを“年下”と設定する画期的な戦略が成功の理由でしょう。僕にとってランは歌手デビュー前から “洗練されていてカッコいい、センスがある東京のお姉さん”という印象でしたので、もちろんスッと腑に落ちました」
のちにキャンディーズを社会現象にまでしてしまう立役者をデビュー以前からすでに推していたとは慧眼です。しかし、石黒さんは「推しではない」と言います。 「僕は流行りの“推し”という言葉が大嫌いなんです。自分から使ったことは一度もありませんし、これからも絶対に言いません。推しって、こちらが主体じゃないですか。あなたを推薦してあげるよっていうことで、図々しいですよね。 僕らはあくまで“応援させていただく”立場なんです。1人1人は無数にいるミジンコみたいなものであって、自分にとって唯一無二の女神を半世紀も応援させていただけるだけで感謝なんです」
■高校時代に100公演以上のコンサートを追いかける 紅白歌合戦に初出場し、晴れの舞台で歌い踊るキャンディーズをテレビで見守った中学3年生の石黒少年。「これはもうコンサートへ行かなければ!」と、金沢公演のチケットを購入します。そこで観たコンサートが、石黒さんの人生を大きく塗り変えたのです。 「中学校の卒業間際に観たコンサートが圧倒的だったんです。前から3列目で迫ってくる、華やかさ、歌のうまさ、かわいさ……3人の輝きとステージングは衝撃でした。ランに見とれてぼーっとなり、それまで普通のファンだったのが、命を懸ける対象に変わった瞬間でしたね」