北京五輪開会式「口パク少女」の転落人生「仕事を選ばず消耗」「名門音大に次々不合格」 一方、“影武者”はアメリカで成功していた
学校ではいじめられることも
いわば「オモテ」と「ウラ」の役割を国家から押し付けられた二人の少女。しかし、オモテが「幸福」でウラが「不幸」かといえば、そうとも限らないのは二人の“その後”を知ればはっきりと分かる。 中国事情に詳しいフリーライターの西谷格(ただす)氏によれば、 「五輪後、林は公共放送のとある表彰式で五輪と同じ『歌唱祖国』を歌う機会があったんです。ところが、やっぱり歌声はイマイチという評価を覆すことはできなかった。それでも天使のような美貌に助けられ、CMの依頼などはひっきりなしに舞い込んでいました。CMの出演ギャラが約1200万円にまで高騰したとささやかれたこともあったくらいです」 だが、“口パク”のイメージが先行し、学校ではいじめられることもあったという。
名門音大に次々不合格
さらに、批判を浴びたのはステージママだった母親の存在だ。 「彼女の母親はもともと大学教授でしたが、五輪後、その職を辞して林のマネージャーに就任。この母親はどんな仕事も断らず、林が14歳のときに20歳以上も年の離れた俳優の恋人役を演じさせて、話題になった。ただ、そんな仕事選ばずの姿勢に世間から『林は子役時代に消耗してしまった』と批判が出て、年を追うごとに林の存在感も低下していったのです」 林が再び世間の話題にのぼったのは17年のこと。芸術系の大学に入学するための「芸考」という試験を受けたものの、名門の音楽大学に次々と落ち、人々をあぜんとさせたのである。 結局、彼女が入学できたのは一段格の落ちる南京芸術学院だった。 「21年、同大学の演劇コースを無事に卒業しましたが、20代も後半に差し掛かった現在の彼女の芸能活動情報は何ら伝わってきません」
「影武者」の現在
一方、林の影武者としてウラの役割に徹することになった楊はどうか。 「楊は、中学生になる頃からメディア出演をほとんどしなくなっていました。その代わり彼女は学業に専念し、優秀な成績を収めています。高校卒業後はアメリカのノースカロライナ大学に入学し、学力コンテストで優勝も。学外では好きだった歌を続けるため自分でバンドグループを結成するなど、充実した毎日を送っているようです」 開会式の「口パク歌唱」は、ある意味、人生の機微を紡ぎ出す名演出だったのかもしれない。
「週刊新潮」2024年8月15・22日号 掲載
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