高校中退→『egg』編集長→女子校の校長!赤荻 瞳が伝承する“ギャルマインド”の法則
渋谷ではじめた「ギャルサー」がのちの仕事に
高校を辞めた赤荻さんの居場所となったのが、ギャルサークル。通称ギャルサーである。どんな活動をしていたのだろうか。 「ギャルサーは現役の高校生がメンバーで、夏と冬にファッションショーやパラパラなどを披露する1000人規模のイベントを開催するんです。ギャルサー自体はたくさんあって、いくつか系列があるんですけど、私はイベントの企画や運営をするセクションで自分のギャルサーを作りました。各サークルで集客を競うんですけど、1位になれば日本一のJKなれると思って頑張りました」。 努力が結実し、見事集客1位を獲った赤荻さん。ギャルサーでの活動はのちの彼女のキャリアにも通じていったという。 「セクションの幹部になるには、みんなの前でプレゼンみたいなことをするんですよ。ギャルサー時代に培ったプレゼン能力はその後、就職してからも役に立ちましたね。
あと当時はお金がなかったので、『鍋食べたい』と思ったら、宮下パークに住んでいたホームレスの方にコンロを借りて鍋をするなど、奇想天外なことをしてたんです。お金がなくても自分たちで楽しむための工夫を死ぬほどしていた。あの頃経験したことは今の仕事にもつながっていると思います」。 ギャルサーを引退したあとは、先輩のツテで広告代理店へ就職。『egg』と接点を持つにいたる。 「一度ほかのところへ就職したんですが、やっぱり渋谷が恋しくて。ギャルの先輩が働いていた、渋谷の広告代理店に転職しました。その会社は社長も幹部もみんなギャルサーのOBです。『egg』の出版社の方と転職先の広告代理店の社長が以前から繋がりがあって、それでWeb版の『egg』をうちの会社に任せてもいいという話がでたんです。『適任は私しかいないでしょ!』と編集長に立候補しました」。
21歳でギャル雑誌『egg』を復活させる
赤荻さんが渋谷でギャルサーを始めた2014年には、すでに『egg』は休刊。彼女は当時の心境をこう語る。 「私の中でギャル雑誌と呼べるのは『egg』だけだと思ってたので、休刊になったときはショックでしたね。その頃ギャルサーも減ってるのを体感していましたが、自分は渋谷に残ってるし、後輩たちもたくさんいる。だったら私が盛り上げないとって思ったのを覚えています」。 2018年3月、赤荻さんはWeb版『egg』の編集長になり、2019年5月にはWeb版と並行して雑誌版も年2回発刊させている。 「一度は休刊になりましたが、いざ『egg』が復活するとなったら、周囲からすごく反響がありました。まずWeb版で復活させたときは、主にYouTubeでメイクやファッション、ギャルの生態をリアルに配信して。1年以内に雑誌を復活させるのを目標に頑張ってました」。 当時、赤荻さんは編集の経験などなかったが、周囲に助けを借りながら『egg』のために尽力した。 「オールで仕事することもあったけど、あまり仕事だとは思ってなかったし、気負いすることもなく、むしろラッキーくらいの感覚でした。 ギャルって、メイクもファッションも個性がバラバラで面白いんですよ。私はもはやギャル=日本文化だと思っているので、世界中にギャルの魅力を届けて、日本をブチ上げたいなって気持ちでしたね」。