高校中退→『egg』編集長→女子校の校長!赤荻 瞳が伝承する“ギャルマインド”の法則
高校時代から渋谷のセンター街で青春を謳歌してきた赤荻 瞳さん。伝説のギャル雑誌『egg』の編集長を務め、2023年には「渋谷女子インターナショナルスクール」、通称”シブジョ”の校長に就任した。 【写真13点】「ギャル雑誌『egg』編集長から渋女校長になったギャル
前向きなギャルマインドで、常に新しいことに挑戦し続ける赤荻さんの半生に迫る。
ギャルに生まれ、雑誌『egg』で進路決定
赤荻さんは埼玉県伊奈町に生まれ育った。ギャルになる片鱗は、幼い頃から既にあったという。 「幼稚園の頃からほかの子と同じなのが嫌で、リボンをネクタイに変えたり可愛い靴下を履いたりしてアレンジしてました。お母さんもお洒落好きで、おばあちゃんもアフロヘアにしちゃうような、自分のファッションを貫く家系でした」。
赤荻さんにとってのファッションアイコンは、昔からずっと変わらず安室奈美恵さんだ。 小学校の頃にはギャル系ブランドの服を身に着け、ミニスカートに厚底ブーツのスタイルを貫いていた。のちの人生にも深く影響を与える伝説のギャル雑誌『egg』と出合ったのもこの頃である。 「『egg』を初めて買ったのは小学4年生の頃。ほかにも『Popteen』や『nuts』、『S Cawaii!』などのギャル雑誌をイツメンたちで買って回し読みしてました。周りの大人にもギャル軍団って呼ばれてましたから(笑)。 中学校は校則がキツかったので、週末だけギャルの格好をしていました。高校は『egg』の“超イケてる学校ランキング”で1位だった大宮西高校に行きたくて、めっちゃ勉強しましたね」。
高倍率の高校受験を乗り越え、大宮西高校に入学した赤荻さんだが、想像とは違う現実が待っていた。 「いざ入学したら、私のリサーチ不足でギャルができるほど校則がユルくなかったんです。文化祭や体育祭とかはとても盛り上がるので、しっかり青春しましたが、勉強はまったくせず。高校1年から2年に上がる春休みに渋谷に通うようになって。中途半端に通うぐらいなら渋谷に振り切ろうと思って退学しました。 あの頃は渋谷でギャルをやって玉の輿に乗るのが、私の描いた進路でしたね(笑)」。