尼崎工場夜景で脚光の写真家は保育士出身 人生は一度、悔いなく「変わる街を写真で残す」 アマ物語
今回は〝不思議な写真家〟小林哲朗さん(45)をご紹介しよう。なぜ、不思議なのか―。実はこの企画「尼崎編」の取材をしている中で市歴史博物館や市役所、観光局、神社などで必ず「小林さんを取り上げてみては?」と薦められるのだ。しかも「小林さんの工場夜景は抜群です」「彼が撮る廃虚には味がある」「最近は尼崎の路地裏で猫を撮ってるらしいですよ」という。いったい何の写真家? その答えを求めて会うと「元保育士」という。小林さんの不思議な人生をのぞいてみた。 【写真】小林さんの〝出世作〟となった軍艦島の写真 ■フォトコン金賞 「ボク、元保育士なんですよ」といって目の前に座った小林さんは、本当に子供が好きで優しそうな顔だ。そんな小林さんがなぜ、プロの写真家になったのだろう。 「実はボクも不思議なんです。写真集を何冊も出しているなんて、当時のボクにも想像がつきません。もちろんカメラの知識もなし。ただ、いえるのは『時代』がよかったのかもしれません」 小林さんが保育士になったのは平成12年、21歳のとき。ちょうどそのころから世間では携帯電話で写真を撮り、メールで転送する「写メ」が流行した。 「ボクも喜んでやってました。その時は漠然と写真って面白いなぁと思うぐらい。そのうち、デジカメ時代がきて、カメラを買って趣味になったんです」 小林さんに運命の転機がやってきた。ある雑誌で長崎市の端島(通称・軍艦島)特集のフォトコンテストがおこなわれるという。小林さんは応募した。すると〝奇跡〟が起こった。なんと、デジカメ部門で「金賞」を受賞したのである。 「ド素人のボクが金賞。うれしくて、それからあちこちの廃虚を撮りまくっていたら、今度は『写真集を出しませんか?』という話が舞い込んできたんです。信じられない展開。もちろん趣味です。印税で新しいカメラが買えるかな―なんて考えてました」 ■保育士から転身 人生の転機は誰にでも訪れる。それに気づき、手を伸ばすかどうか。小林さんはつかんだ。だが、一方で大きな「決断」も迫られた。勤務していた保育所は副業禁止。10年勤めた保育所を辞めてプロになるかどうかの決断を迫られたのだ。 一度の人生。悔いなく生きたい―と結婚したばかりの妻を説得した。プロになった小林さんは「廃虚」や「工場夜景」を中心に写真を撮った。雑誌が出ると徐々に「写真家・小林哲朗」の名前が売れていく。尼崎市からは工場夜景の「撮影ツアー」や講演会の依頼がある。そして市の依頼でドローンを使って空撮した「兵庫東スラッジセンター」の写真が、米国・ルーサーズ アーカイブ社発行の写真雑誌『200 Best Ad Photographers Worldwide 18/19』に掲載された。8千候補の中から「ベスト200」に選出されたのである。