80年代の「5強」がプレミア発足を画策、有料衛星放送スカイで飛躍的な発展へ 【プレミアリーグ 巨大ビジネスの誕生②】
フーリガン問題やスタジアムにおける事故などが相次ぎ、イングランドのサッカー界が冬の時代を迎えた1980年代。水面下では新リーグ発足の動きが本格化していた。主導したのが当時の「ビッグ5」だったリバプール、エバートン、アーセナル、トットナム、マンチェスター・ユナイテッド。高い人気と知名度を誇るクラブはテレビ放映権が1~4部リーグの全92クラブに分配されていることに不満を募らせ、リーグを統括していた「フットボール・リーグ」からの独立を企てた。(共同通信=田丸英生) 【写真】スタジアムは「巨大パブ」、すさまじい「やじ」も… サッカーとビールを愛するサポーターの熱狂 プレミアリーグ、チケット入手と楽しみ方
▽テレビとの冷え切った関係 ユニホームに企業スポンサーが付き、スタジアムに多くの広告看板が立つなどサッカーの商業化が進み始めても、テレビ放送に対する抵抗は根強かった。試合が生中継されればスタジアムに足を運ぶファンが減ると危惧され、1983年から本格的に始まった地上波の放送も年に数試合と限られた。 1985年は3月にルートン―ミルウォール戦の暴動、5月には多くの死者を出した「ブラッドフォード火災」と「ヘイゼルの悲劇」が相次いで発生。負のイメージがつきまとうサッカーは、テレビ局にとっても魅力的なコンテンツではなかった。 翌1985~86年シーズンに向けてBBC放送と民放ITVが提示した放映権料は「4年1900万ポンド」(当時のレートで約61億7500万円)。これにリーグ側が首を縦に振らず交渉は決裂し、シーズンの前半戦はテレビの画面からサッカーが消える事態となった。その後、妥協案で合意して1986年1月から試合中継は復活したものの、リーグやクラブと放送局の関係は冷え切っていた。
▽幻に消えた「ビッグ5」のリーグ脱退構想 そんな時代に先鋭的な視点でテレビの価値を見いだしていたのが、トットナムのアービン・スコラー会長だった。1983年にサッカークラブとして初めてロンドン証券取引所に上場したトットナムは、テレビCMでシーズン開幕戦のチケット販売を宣伝するなどサッカーのビジネス化で他クラブを先行していた。 広告代理店「サーチ&サーチ」で、そのCMを担当したアレックス・フィン氏は「彼はサッカーが持つ商業価値にいち早く目を付けていた、イングランドのサッカー界では珍しい存在だった」と振り返る。 スコラー会長を含む「ビッグ5」の代表者がリーグ脱退へ動き始めたのは、放映権料の更新時期を迎えた1988年。ITVスポーツのトップだったグレッグ・ダイク氏と極秘会談の場を設け、それまでBBCとITVがカルテルを結んでいたことを認めさせた。 その上でITVから人気5クラブのホーム戦の独占放映権料として、それぞれに年間100万ポンドずつという破格の条件が提示された。この「抜け駆け」の画策はリーグや他クラブに察知されて結果的に実現しなかったが、既にテレビマネーを柱としたプレミアリーグ創設へと歯車は動き始めていた。