80年代の「5強」がプレミア発足を画策、有料衛星放送スカイで飛躍的な発展へ 【プレミアリーグ 巨大ビジネスの誕生②】
オーストラリア出身で「メディア王」の異名を持つルパート・マードック氏の支配下にあったBスカイBは、なかなか一般家庭に普及せず経営が傾いていた。そんなタイミングで加入者を増やすための切り札として、サッカー中継に狙いを定めて新リーグの放映権獲得に名乗りを上げた。 ▽対抗勢力が推した衛星放送 当初は「ビッグ5」と蜜月関係にあったITVが有力視されたが、チェルシーのケン・ベーツ会長とクリスタルパレスのロン・ノーズ会長を中心とした対抗勢力はBスカイBを推した。そして1992年5月、ロンドン中心部の高層ホテル「ロイヤル・ランカスター」で行われた放映権の譲渡先を決める会議で、陰の主役となったのがトットナムのアラン・シュガー会長だった。その前年にスコラー氏の後を継いだシュガー会長は、自身の所有する会社が衛星放送を受信するアンテナを製造販売していた。 そのため「5強」の代表者のうち、1人だけBスカイB派に転じて暗躍。ホテルのロビーでBスカイBの幹部に電話口で「彼ら(ITV)をあっと言わせる額を提示するんだ!」と促したことが決定打となって放映権を勝ち取ったエピソードは、リーグの歴史を変えた逸話として語り継がれる。
▽「サッカーを変えた」スカイTV 最初の契約は5シーズンで3億400万ポンド(当時のレートで約726億5600万円)というのが定説として伝わるが、フィン氏によると実際の金額はもっと低かったという。「スカイが1億9150万、ハイライト番組を流すBBCが2200万で、合わせて2億1350万ポンド。3億という数字は外国の放映権を見込んだ金額だったが、それが実現することはなかった」と明かす。リーグの国際化が進むまでさらに数年を要したが、1992年8月にプレミアリーグが華々しく幕を開けるとBスカイBは加入者が急増して黒字に転じた。 今では当たり前となった「お金を払ってテレビで試合を見る」という新たな観戦スタイルは、この時から徐々に浸透していった。フィン氏の言葉を借りれば「スカイがサッカーを変えた」―。無料の地上波から有料放送へと舵を切ったイングランドのサッカー界は、そこから右肩上がりに飛躍的な発展を遂げることになる。