80年代の「5強」がプレミア発足を画策、有料衛星放送スカイで飛躍的な発展へ 【プレミアリーグ 巨大ビジネスの誕生②】
▽イングランド協会は改革案を拒否 新リーグ発足に向けた動きが秘密裏に行われていた頃、広告代理店のフィン氏はサッカー界でコンサルタントとして広く知られるようになっていた。旧知のスコラー会長から依頼されて「最初のプレミアリーグ構想」をまとめたのは1985年のこと。1990年代に入るとイングランド協会(FA)のアドバイザーに任命され、プレミアリーグ創設に向けてさまざまな提言をまとめた。 「18もしくは20チームによる最上位リーグの下部に全国リーグ、そのさらに下に三つの地域リーグを置くことが私の考えたプラン。特に最下層を地域別に分けてピラミッド型にする点が重要だと思ったが、FAが興味を示したのはトップの部分だけだった」。その背景にはフットボール・リーグとのパワーバランスで脅威を感じていたイングランド協会の思惑があった。 1990年秋にリーグはイングランド協会と一つになってサッカー界を統括する改革案を発表したが、協会側がこれを拒否。最上位リーグが独立することで、2~4部だけ残されたフットボール・リーグが弱体化するシナリオを好都合と捉えていた。最高機関としての立場を守ることしか考えていなかった当時のイングランド協会をフィン氏は「無能で自己中心的」だったと断罪する。
▽クラブ主導で構想実現へ フィン氏はイングランド協会にこう提言した。「FAが主導して新リーグを運営すれば、チーム数を絞って試合数を減らすことでイングランド代表の強化や伝統あるFA杯により重点を置ける」―。だが聞き入れられず、サッカー界の底辺まで考えたピラミッド型のリーグ構造が理想的と訴えても理解してもらえなかった。 新リーグ創設に向けた会議はクラブ側が中心となって進められ、決議事項もイングランド協会のバート・ミリチップ会長が「あなたたちのリーグなんだから、あなたたちで決めなさい」と放任した。こうしてトップから事実上のゴーサインが出ると、構想は一気に現実味を帯びてきた。 ▽「メディア王」の切り札にサッカー中継 プレミアリーグ誕生の機運が高まってきたのと時を同じくして、テレビ業界にも衛星放送という新たな波が訪れていた。1988年から4年分の放映権を取得していたITVに対抗したのが、1990年にスカイTVとライバルの英国衛星放送(BSB)が統合して生まれた有料の「BスカイB」だった。