賃上げの機運高まる中、データの見方を考察する
「報道部畑中デスクの独り言」(第379回) ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム。今回は賃上げについて。
春闘=春季労使交渉の集中回答日から4カ月あまり、6月には多くの企業でボーナスも出ました。賃上げの機運が高まる中、恩恵にあずかれた方々もいれば、まだまだという方もいらっしゃるかもしれません。こうした中で、賃上げに関する各種データも発表されました。 まずは経団連の賃上げ率の集計、今月(8月)5日、今年の春闘での最終集計が発表されました。従業員500人以上の大手企業22業種244社を対象とし、集計可能な18業種135社の結果です。それによると、月給の賃上げ率は平均5.58%。バブル期の1991年(5.60%)以来、33年ぶりに5%を超えました。前年の賃上げ率3.99%から1.59ポイントの増加です。 労働団体の連合が7月に行った最終集計でも、5,284社の組合の平均賃上げ率は加重平均で5.10%。昨年に比べて1.52ポイントの増加となりました。最終集計まで5%を超える水準を維持したのはこれまた1991年以来33年ぶりです。このうち、300人未満の中小企業3,816社の組合の平均賃上げ率は4.45%で1.22ポイントの増加です。 また、今年は中小企業の賃上げが焦点だったこともあり、中小企業を主な会員に持つ日商=日本商工会議所も賃上げに関する調査を初めて行いました。4月19日から5月17日までの期間の調査で、1,979社が回答しました。賃上げ率はいずれも加重平均で正社員3.62%、パート・アルバイトは3.43%という数字でした。 一方、もう一つ注目されるのは厚生労働省が公表する毎月勤労統計調査。ここから算出されるデータとして、名目賃金と実質賃金があります。今月6日に発表された6月の数値で、物価変動を考慮した1人当たりの実質賃金は前年同月比で1.1%増え、27カ月ぶりにプラスに転じました。名目賃金に当たる現金給与総額も4.5%増え、30カ月連続の増加となりました。春闘による賃上げや夏のボーナスが寄与したとみられます。 賃金に関するデータにはこのようにばらつきがみられます。ばらつきは集計方法の違いによるもので、どれも不正やミスがない限り、数字にうそはありませんが、小欄ではこうしたデータがどのようにして算出され、なぜばらつきが出るのか、改めてみていきます。 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ まず、経団連の集計は、定期昇給を含む月例賃金(月給)の賃上げ率です、調査対象は原則として従業員が500人以上の大企業の正社員。1人当たりの毎月の給与の動きを計算するものです。給与はいわゆる「基本給」で、残業代やボーナスは含まれません。賃上げ率には定期昇給のほかにベア=ベースアップも含まれます。 元となるデータは主に業界団体から入手しますが、そこには各企業の給与担当者から賃金改定後の数字が、1円単位で正確に上がってきます。さらに各企業の組合員数(組合がない場合は従業員数)を考慮し、「加重平均」という方法で計算しています。 万が一、企業側が意図的にかさ上げした場合は、数字に反映されてしまいます。ただ、集計に含まれる個々の企業名やデータは公表されておらず、かさ上げをしても企業側にメリットはありません。経団連によると、集計では1社1社のデータをチェックしています。例えば、前年のデータと比べて大きく変動している場合や、「平均1万円」といったキリの良すぎる数値に関しては、業界団体を通じて照会し、確認が取れない場合は集計から除外しているということです。 連合の集計も計算方法はほぼ経団連に準じますが、元となるデータは組合側が提出したもので、組合のある企業に限られるなど、集計の対象が異なります。さらに従業員数ではなく組合員数で規模を区分(組合員数300人以上と未満で区分)しているため、経団連の集計とは当然ながら差が出てきます。 日商の調査は前述のとおり、会員である中小企業が対象。価格転嫁の課題を抱える中、人手不足に対応するためにやむを得ず賃上げする「防衛的賃上げ」(特に運輸業で7割を超える)の企業もあります。賃上げをしていない、あるいは引き下げをしている零細企業もあり、大企業に比べると低めに出ます。もちろん、その格差は看過できるものではなく、価格転嫁や取引価格の見直しなど、格差是正に策を尽くす必要があります。 さらに、前年の4月から在籍し、職場環境に変更のない人という条件が付きます。つまり、1年以上同じ職場で働いていない人は対象には含まれません。短期労働者の実態までは反映されていないことに注意が必要です。なお、今回が初めての集計で時系列の比較はできませんが、日商の担当者は「がんばっている、いい数字ではないか」と分析しています。 一方、名目賃金、実質賃金と言われるデータですが、これは厚生労働省の毎月勤労統計調査から集計されます。毎月勤労統計調査は国の「基幹統計」の一つ。このうち、名目賃金は「企業の賃金総額(現金給与総額)の動向」を見るもの。具体的には集計の対象となる企業の賃金総額の合計を従業員数で割った数値になります。残業代やボーナスも含まれるので、月によって数値が跳ね上がることもあります(6月、12月や残業の多い年度末など)。よって、毎月公表される数値ですが、前月との比較は意味がなく、前年同月との比較になります。 さらに、これが重要なのですが、企業の賃金総額は、年度が変わると、新入社員の分が増加する代わりに、定年を迎えた人など退職者の分が減少します。このため、労務構成に大きな変化がない限り、賃金総額は大きく変化しません。 よって、定期昇給の分は、年度ごとの賃金総額の変化には反映されにくく、ベアがないと毎月勤労統計の名目賃金は上昇しにくい性質を持っています。こうしたことから、経団連、連合などの集計と比べて通常、低めの数値が出てくるのです。 他方、労務構成に「変化があれば」、賃金総額は変化します、例えば、年功序列で在職年数とともに賃金が上がる企業で(日本ではまだまだ主流)、定年退職者や高齢の退職者が大量に出た場合は、ベアがあっても賃金総額が減る可能性があり、結果的に名目賃金は下がることになります。これは経団連や連合の集計にも当てはまります。 厚生労働省によると、毎月勤労統計調査の対象は常用労働者5人以上の事業所。名称の通り、月ごとの調査ですが、1~4人の事業所については特別調査と称し、年1回、7月分を調査します。すべての事業所を調査するのではなく、一定の精度を保った標本調査で、無作為抽出で行われます。統計法によって、調査の報告は義務とされ、報告を拒否したり、虚偽の報告をした場合は「50万円以下の罰金」と規定されています。 そして、実質賃金は名目賃金を消費者物価指数で割った数値。まさに、物価変動の影響を考慮したもので、消費者物価指数が大きければ名目賃金との差は大きくなります。5月まで26カ月連続で続いていた前年同月比マイナスは、「物価上昇に賃金の伸びが追い付いていなかった」というわけです。 以上、様々なデータの集計手法を見てきましたが、経団連の集計は大企業の、連合は組合加盟企業の、日商は中小企業の、名目賃金と実質賃金は企業の給与総額の傾向を示すもの…当然、数値にはかい離が出てきます。あくまでもそれぞれの条件の下で集計された、特性を持つデータです。また、集計方法の違うデータ同士を比較するのではなく、同じデータを時系列に追うことで、賃上げの実態がみえてきます。こうしたデータの特性を押さえた上で、メディアも多面的に伝えていく必要があります。 (了)