【高校野球】早実との激闘を制して頂点に立った二松学舎大付 市原監督が「感無量」と語った3つの理由
「ゾーン」に入った指揮官
【11月7日】秋季東京大会決勝 二松学舎大付高6x-5早実(延長12回) 二松学舎大付高が3時間5分の激闘を制した。早実との決勝は5対5のまま9回で決着つかず延長へ。タイブレークの10回表から5つのゼロが並んだ。両校とも粘り、守った。 三塁ベンチで母校を指揮した二松学舎大付高・市原勝人監督は「ゾーン」に入っていた。 「不思議とタイブレークって、1、2イニングを抑えると、抑えられる気になってくるんです(苦笑)。一方、攻撃は点が入らないような感覚。難しいです。ヒットが出る気がしない。ヒットが打たれる気がしない。そこまで行くのか、と。ミスが出たほうが負ける」 4回から救援したエース・及川翔伍(2年)が気迫の投球で、10回表から3イニングを気迫の投球で乗り切った。12回裏無死一、二塁。市原監督は動いた。初球にバスター仕掛けると、高いバウンドは三塁右横を抜けていった。無死満塁。次打者は浅い右飛で、次打者は1年生・根本千太郎。市原監督の腹は決まった。根本は下級生ながら、三塁コーチを任される全幅の「信頼感」があった。 「ファイターです。落ち込まない。怯まない。叱られても、へこまない。下手したら、向かってくる(苦笑)。人間的な部分でも、あの場面はスクイズでした」 カウント1ボール1ストライクからの3球目をしっかり、一塁前に転がした(記録は内野安打)。劇的なサヨナラ勝ちである。二松学舎大付高は21年ぶり3度目の優勝を決めた。
過去の苦い経験
市原監督は8000人が見守った優勝インタビューで「感無量」と語った。なぜ、このような心境になったのか。3つの理由がある。 まずは、過去の苦い経験にある。二松学舎大付高と早実が秋の決勝で対戦するのは、自身が左腕エースだった1981年以来。早実のエースは、アイドル的な人気を誇っていた荒木大輔(元ヤクルトほか)。二松学舎大付高は4対2とリードしていたが、9回表に6失点で悪夢の逆転負けを喫した(4対8)。試合会場の神宮第二球場は熱狂に包まれていた。 「コンバットマーチ、紺碧の空を聞くと、どんどん押されていました。今の連中は気にしないのか、大したもんですよ」。後輩たちが43年のときを経て、雪辱を果たしたのだ。 「両校とも(翌1982年春の)センバツに出場したんですけど、青木先生(久雄監督)は『甲子園では(早実よりも)早く先に帰らない』と言われていたのが印象に残っています」 エース・市原を擁した二松学舎大付高は快進撃を巻き起こし、決勝進出。最後はPL学園高に敗退も、同校最高成績の準優勝を収めた。 2つ目の理由は、生徒たちの成長である。 二松学舎大付高は2021年夏から23年春まで4季連続甲子園出場。だが、同夏から3季は全国舞台から遠ざかっていた。 「プレッシャーがありましたし『勝つのが普通』と、周りの期待も大きくなる。足元を見つめ、謙虚な姿勢で取り組もうと心がけても、チームをまとめるのに難しい面がありました。ただ、今の3年生は秋ベスト8、(春3回戦敗退でノーシードだった)夏の東東京大会はベスト4と頑張ってくれました。苦しんだ先輩たちを見ていた今の1、2年生が『謙虚にやらないといけない』と感じた年代です。泥臭く、しぶとくやるチームになりました」 何よりも「3強」を撃破した達成感がある。 「(準々決勝で)三高さん(日大三高)、(準決勝で)帝京さん、(決勝で)早実さんを破っての優勝というのは感無量なところがある。この学校さんに勝つのは大変でしたので……」