<喘息の吸入器1個がCO2換算28キロの温室効果ガス排出?>地球に配慮した治療が世界の「新たな目標」、自分と自然のためにできること
吸入器による温室効果ガス排出
どの吸入薬にするか(薬剤の選択)については診療ガイドラインなどを参考にするが、それに加えて、どの種類の吸入器にするか(吸入方式の選択)についても家庭医は考慮しなければならない。 MDIに充填されているのは、フロンガスの一種であるハイドロフルオロカーボン(HFC)で、これが環境へ及ぼす影響が甚大なのだ。HFCはオゾン層を破壊することはないものの、温室効果としては二酸化炭素の1000~3000倍という凄まじいデータが知られている(最近ではオゾン層破壊そのものの地球温暖化への影響は小さいことがわかっている)。 カーボンフットプリントの推計では、MDIの吸入器1個が二酸化炭素換算で28キログラムの温室効果ガスを排出し、これはガソリン車が約280キロメートル走行する際に排出する量に相当するという。一方、DPIの吸入器1個では、1キログラム未満の排出、6キロメートルの走行という桁違いの差である。 チリも積もれば山となるので、人口493.4万人のアイルランドで家庭医が調査した結果では、2019年に、442万7287個の吸入器が処方されており、そのうちMDIが59%、DPIとSMIを合わせて41%だった。これら吸入器によって排出される温室効果ガスの総量は二酸化炭素換算で5万4765トンに達し、MDIによるものが97%を占めていたのである。
短時間作用型β₂刺激薬のように、処方できる薬剤のほとんどがMDIの剤型であるため選択肢が限られる場合もあるが、可能な限りMDIからDPIやSMIへの変更を家庭医は患者へ推奨して相談する。また、吸入薬を使用し終わったMDIに残るHFCも大きな問題で、リサイクルが推奨されている。
「プラネタリーヘルス」事始め
2022年9月の『世界の家庭医が挑む貧困やSDGsと医療の課題』でも紹介したように、地球規模での環境に配慮した活動は「プラネタリーヘルス(planetary health)」と呼ばれ、世界の家庭医が取り組むべき「新たな目標」となりつつある。 「プラネタリーヘルス」という概念を考案したのは、英国の医学雑誌『ランセット』のリチャード・ホートン編集長だと思われる。今からちょうど10年前の14年3月の『ランセット』に、彼が筆頭著者となって「公衆衛生からプラネタリーヘルスへ」と題するマニフェスト(宣言)が発表された。 この「宣言」は、人類が直面する脅威(健康とウェルビーイングへの脅威、文明の持続可能性への脅威、人類を支える自然界と人為システムへの脅威)へ対処することを目的として、人類が共存し依存する生命の多様性を育み維持する地球を視野に入れて、医療専門家や公衆衛生従事者、政治家や政策立案者、国連や開発機関の国際公務員、地域を基盤とした学者、そして自分自身の健康、同胞の健康、そして将来世代の健康に関心を持つすべての人たちを巻き込んで、地球規模の健康のための運動を起こすことを提唱している。 ただ、この「宣言」がかなり高邁な理想を掲げているために具体性を犠牲にしているという指摘もあった。そこで、同じ年の8月にロンドン大学衛生熱帯医学大学院(London School of Hygiene & Tropical Medicine; LSHTM)の教授で学長を務めたこともあるアンディー・ハインス卿らを加えて、プラネタリーヘルスについての研究を振興する方向で運動を発展させ、それらの成果はロックフェラー財団と『ランセット』の合同プラネタリーヘルス委員会による報告書として15年に出版された。