「総会屋事件の主任検事をやってもらうからな」平成事件史:戦後最大の総会屋事件(6) 「最強」捜査機関の実像
「5月の段階で、応援検事含めてロッキード事件並みの体制と言われたが、9月以降「秋の陣」に向けて副部長も4人に増員し、野村証券に続いて、山一証券、大和証券、日興証券への4大証券着手の頃はさらも応援検事を増やし、検事は70人近くに拡大した。特捜部だけで東京地検全体よりも人数が多いじゃないか、とよく言われた。かといって、応援検事をいつまでも引っ張っておくわけにはいかないので、どこで解除するのか、捜査の進捗状況を見ながら判断した」 「立件するのは野村証券だけの一罰百戒でいいんじゃないかという検察幹部もいたが、4大証券すべてに不正の証拠があるのにやらないのは不公平感が残るとの判断だったと思う」(山本副部長・現弁護士) ■検察首脳にも「特捜人脈」 また時を同じくして検察首脳のメンバーにも「特捜人脈」が集まり、大型経済事件に熟知した陣容が揃うことになった。 検察のトップ、検事総長の土肥孝治(10期)は、京大在学中に司法試験の合格、国会議員を摘発した「大阪タクシー汚職」で贈賄側から自白を得るなど、検事約40年間の大半を大阪高検管内で過ごした大阪特捜のエースだ。大阪地検特捜部長時代は、大阪府警の警察官がゲーム機業者から収賄していた汚職を摘発。またバブル期に住友銀行や裏社会を舞台に「3000億円」が闇に消えたとされる「イトマン事件」を指揮した。その翌年、最高検次長検事となり「金丸元副総裁脱税事件」で現場を後押しした。 検察ナンバー2の東京高検検事長の北島敬介(13期)は特捜部時代に「石油ヤミカルテル事件」、その後は「ロッキード事件」の全日空ルートなどを担当。1993年には東京地検検事正に就任し、「ゼネコン汚職」を指揮した。最高検公安部長、東京高検検事長などを経て検事総長となる。学生時代は柔道部、普段は無口だったが、酒が入ってもやはり寡黙だった。 筆者の1997年のスケジュール帳には、2月26日「石川さん東京地検検事正に着任」と記されている。東京地検検事正は、東京地検のトップで特捜検察を直接指揮する枢要ポストである。警視庁のカウンターパートは「警視総監」になる。 特捜検察の本流を歩んだ石川達紘(17期)は「ロッキード事件」で全日空副社長の取り調べや「三越事件」に携わり、特捜部副部長時代には「平和相互銀行事件」や「撚糸工連事件」を手掛けた。特捜部長在任中には「国際航業事件」や「稲村利幸・元環境庁長官」の脱税事件を摘発。「ゼネコン汚職」では東京地検次席検事として特捜部長の宗像紀夫(20期)、副部長の熊﨑をバックアップした。佐賀地検、静岡地検の検事正、最高検公判部長を経て戻ってきた。石川は名前の「達紘」を音読みして、「タッコウさん」と呼ばれ、特捜現場の利益代表として慕われた。「ゼネコン汚職事件」以来、「石川ー熊﨑ライン」には強い信頼関係が築かれていた。
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