県勢100勝に王手 強豪軸に裾野広く 智弁和歌山と市和歌山、活躍に期待 /和歌山
<センバツ2019> センバツ100勝まであと1勝--。1924(大正13)年の第1回大会以来、昨春の第90回記念大会までに県勢は99の勝ち星を積み上げてきた(103敗2分け)。戦前は和歌山中(現桐蔭)をはじめとする旧制中学が県内球史の草創期をけん引。戦後はともに名将率いる箕島と智弁和歌山が一時代を築き、野球王国としての存在感を発揮した。大台への期待がかかる今大会、智弁和歌山と市和歌山の活躍に注目が集まる。【砂押健太】 【熱闘センバツ全31試合の写真特集】 「当時は、バッテリーコーチなどポジションごとの専属の指導者はいなかった。OBが毎日のように練習を見に来て、高い技術を教えてくれた」 桐蔭2期生で、同校野球部監督も務めた松嶋正治さん(87)=和歌山市松江北=は現役時代を振り返る。 和歌山中では戦前、心身を鍛えるため野球が奨励され、東京から大学野球経験者をコーチとして招へい。センバツは第1回大会から11回連続で出場し、27(昭和2)年の第4回大会で初優勝した。和中の活躍に触発されるように県内でも野球が盛んになり、海草中(現向陽)は第6回大会に、海南中は第10回にそれぞれ初出場、その後も常連校として名を連ね、野球王国としての道筋を付けた。 松嶋さんは「冬でも雪が降らないため年間を通して練習できた」と説明、温暖な気候にも恵まれたことも奏功したとみる。 戦後は、1970年代に尾藤公監督率いる箕島が公立校唯一の春夏連覇(79年)を含めセンバツで3回の全国制覇を遂げた。その後、「打倒箕島」を掲げた高嶋仁監督(現名誉監督)の智弁和歌山も94年に初優勝し、準優勝は昨春も含めて3回を数える。 豊富な練習量で徹底的に選手を鍛え上げるのが両監督のスタイルだった。箕島OBで、尾藤監督引退後に後任を務めた松下博紀さん(55)=現・箕島教頭=は「特段変わった練習はなく、ノックなどの基本メニューが多かった。部員にはミカン農家や漁師の子供が多く、幼い頃から農作業や漁を手伝い体も強かった」と話す。 さらに尾藤監督は「スマイル」、高嶋監督は「仁王立ち」に代表される独特のキャラクターでグラウンド上の選手たちを鼓舞し、ファンも魅了した。 両チームのセンバツ勝ち星は、智弁和歌山がトップの25勝、箕島は24勝に上る。両校に対抗しようと、他校もしのぎを削り、両チーム含めて県内19校がセンバツに出場した。 都道府県別の勝利数で県勢は、(1)大阪203(2)兵庫168(3)愛知166(4)東京125--に次ぐ5位で、100勝を達成すれば地方としては初となる。古豪や強豪にとどまらない裾野の広さも、99の勝ち星につながっていると言えそうだ。 ……………………………………………………………………………………………………… ◇センバツ勝利数5傑 (1)智弁和歌山 25 (2)箕島 24 (3)桐蔭 13 (4)海南 12 (5)向陽 7 ※旧制中時代などの勝利数も含む。