「生きていくのがつらい人」に絶対に知ってほしい「毒舌な哲学者」の「人生の教え」
人生は本質的に苦しみである
世界に目を向けてみても、格差と対立がさまざまな場面で大きな亀裂を生じさせていて、セーフティネットが十分に機能していない。流行に乗り遅れ、既得権益にもありつけず、「自分らしさ」を上手くお金に換えられなかった人々は、社会のお荷物として見下され、自己責任だと言われながら、一方的に搾取されている。 もちろん、経済的な豊かさだけが人生の目標ではないだろう。「自分らしく生きること」は、経済的に豊かになって自分の欲望を満足させることと同義ではない。 だが、わたしたちがこの社会で生きていくための原動力は多くの場合、欲望である。何かを手に入れたい、周囲の人や世間からよく思われたいと願うからこそ、わたしたちは日々努力し続ける。生きていくためには、欲望は不可欠の活力源である。 欲望があるからこそ、それが叶わないときの挫折があり、苦しみがある。誰もが自分の欲望の満足を優先させようとするのだから、欲望が動かしている社会には必ずと言っていいほど格差や分断が生まれ、貧困と搾取が生じてしまう。 このような社会では、自分が豊かになったとき、必然的に別の誰かが犠牲になっている。わたしたちは日々、そのような勝負に巻き込まれている。 人生は苦しみである。こう聴くと、「私は今そう感じていない」、「私の人生は幸せだ」と言い返したくなる人もいることだろう。だが、それは主観的な思い込みというものではないだろうか。その主張は、正確に言えば、「現時点で私は苦しみを感じていない」、ということだろう。 現時点ではかろうじて選択を間違えずに済んでいるだけで、実は、次の瞬間にも大切な何かが失われてしまうかもしれない。本当は誰もが知っているはずだ。この世は理不尽にできている。努力はいつでも報われるわけではない。犯罪や災害、病気、そして死は、誰にとってもすぐそばにある。 本書で考えていくのは、客観的に理解すれば、人生は本質的に苦しみである、ということについてである。もちろん誰もそんなことを理解したくはないだろう。 だが、いつまでも目を逸らし続けるわけにはいかない。大切なものを失ってしまったら、明日の勝負で負けてしまったら、いやでも客観的な現実を直視することになるのだから。それゆえ、人生について客観的に──哲学的に考えておくことが必要なのである。 はたして、生きていくとはどういうことなのか。苦しみに満ちた人生を、いかに生きるべきか。こうした問題に取り組んだ先駆者が、19世紀ドイツの哲学者ショーペンハウアー(1788~1860年)である。 その主著『意志と表象としての世界』で示された思想は、生の峻厳なる本質を明らかにしようとするものであり、究極的には「意志の否定」に至るものである。 生きることは苦しみだという主張で有名なので、その思想はペシミズムだとよく言われる。また、一般的には『読書について』など、鋭い箴言(しんげん)が今日でも読み継がれている。 さらに連載記事<ほとんどの人が勘違いしている、「幸福な人生」と「不幸な人生」を分ける「シンプルな答え」>では、欲望にまみれた世界を生きていくための「苦悩に打ち勝つ哲学」をわかりやすく解説しています。ぜひご覧ください。
梅田 孝太