三上博史さんの愛車遍歴、初公開!!! 渋谷のスクランブル交差点で止まった驚きのエピソードとは
愛車を見せてもらえば、その人の人生が見えてくる。気になる人のクルマに隠されたエピソードをたずねるシリーズ第29回の前編。俳優の三上博史さんが人生初のマイカーと久しぶりに再会した! 【写真を見る】三上博史さんの愛車遍歴の詳細はこちら!!!(22枚)
免許取得の意外なきっかけ
俳優の三上博史さんは、撮影現場でかつての愛車ヴァンデン・プラ「プリンセス」を見つけると、「懐かしいなぁ」と、頬を緩ませた。 「僕が乗っていたクルマは、紺のボディカラーにゴールドのラインが入っていたんですが、編集部から撮影車両が見つかりました、と、事前に送ってもらった写真を見たときには、懐かしくて涙が出そうになりました。僕は1台のクルマに長く乗るタイプなので、1台に詰め込まれた思い出が多いし、またそれが重いんでしょうね」 20歳で買ったヴァンデン・プラ プリンセスから、現在の愛車まで、三上さんが個人で所有したクルマは4台だけだ。ここでは1台ごとの思い出を振り返っていただこう。 高校生の頃、原動機付自転車免許を取り、18歳になるとすぐに普通自動車免許を取得したという。三上さんが、免許取得に至ったエピソードがおもしろい。 「当時、年上の彼女と付き合っていて、富士スピードウェイに行こうということになったんです。彼女の運転で行ったわけですが、徹夜で行ったので帰りに彼女が、眠いからお前が運転しろと言い出して(笑)。いや、免許持っていないよ、というところから免許を取ろうと思ったような記憶があります。それにしても、すごい彼女だった(笑)」 そして20歳のときに、初めての愛車、ヴァンデン・プラ プリンセス、通称“ヴァンプラ”を手に入れる。20歳の青年が手に入れるにしてはかなり渋い、通好みの選択だ。三上さんは、どこでヴァンプラと出会ったのだろう。 「それが、全然覚えてないんですよ。申し訳ないぐらい、どこで見つけたのかも思い出せない……。クルマ雑誌を見るタイプでもないし、メカにも興味がないし、もちろんネットもない時代でした。僕はすごく記憶力に自信がないんですけれど、ある人からそれは“俳優あるある”と、言われました。嘘をホントにして、ホントを嘘にする商売だから、記憶がゴッタゴタになるのかもしれませんね。『あれ? この思い出は役で演じたときの記憶だっけ?』というのもありますし」 ここで、ヴァンデン・プラ プリンセスというクルマについて説明を記したい。このクルマは簡単に言うとオリジナル・ミニの兄貴分にあたるモデルだ。 1950年代、スエズ動乱に端を発するエネルギー危機に直面したイギリスでは、経済的なコンパクトカーが求められた。こうして、1959年に革命的な小型車オースティン「セブン850」が発表される。1962年に、ミニと改称されるこのクルマの開発コードナンバーは「ADO15」だった。 ADO15の基本レイアウトはそのままに大型化し、ディスクブレーキやハイドロラスティックサスペンションなどの先進機能を備えたのが、1962年に登場したオースティン「1100」で、コードナンバーはADO16となる。デザインを手がけたのはピニンファリーナで、端正な美しさと室内の広さを両立している見事な造形だ。 そしてADO16の最上級版として、1963年にヴァンデン・プラ プリンセス1100がデビューした。このクルマは、いわゆる小さな高級車のはしりだ。混雑したロンドン市街を走るには、大型リムジンよりもコンパクトカーのほうが便利。そこで、普段はロールス・ロイスの後席に収まっている人も納得できるよう、ADO16の内装をウォルナットとレザーで誂え、前席バックレストにピクニックテーブルを装備したヴァンプラが生まれた。 ヴァンデン・プラ プリンセス1100は排気量1098ccの直列4気筒OHVを搭載、1967年に排気量が1275ccに拡大され、車名もヴァンデン・プラ プリンセス1300に改めている。