警察OBが「この小学校は最も不審者が侵入しにくい」と太鼓判を押した理由 全員が当事者になる「みんなの学校」の意義【石井光太×木村泰子】
目に見えないところを育てる
石井 小学校の運動会だと、例えば9時から10時が1、2年生、10時から11時が3、4年生、11時から12時が5、6年生という風に決まっているところがあります。その各1時間で運動会をやっているんだけども、他の学年はそれを見学することなくずっと授業をしているんです。そのため運動会の音を大きくできず、かけっこでBGMを流せない。運動会って別の学年の子を応援して、「ああいう先輩みたいになりたいな」といった、人間関係や目に見えないところを育てていくものですよね。学校の先生たちはそういう風に言いたいんだけれども「働き方改革だ」「運動会の改革だ」という言葉だけが大きくなってってしまって、言えない。すると、親にとっても子どもにとっても先生にとっても得にもならないような運動会が行われてしまう。 木村 学校という組織に絶対あってはいけないものは3つやと断言しています。1つは「前例踏襲」です。もう1つは「同調圧力」。同調圧力は、30人子どもがいて、29人賛成して、1人嫌やって言っているのに強制したらその子は学校に行く意味を見つけられなくなります。最後は「ヒエラルキー」。先生の言うことを聞きなさい、親の言うことを聞きなさい、校長先生の言うことを聞きなさい、では何も変えられない。ダメなところに気づいているのに行動を変えへんのは、それは子どもに見せる姿ちゃいますよね。 石井 泰子さんが「自分の子どもを自分では育てなかったけど、周りの大人が育ててくれた。これでいい」というようなことをご自身のお子さんについて書いてらっしゃいましたよね。いろんな取材をする中で、良い学校、良い保育園は一律、いろんな大人が介入して、大人と子どもたちが触れ合う環境があります。実の親と実の子ども、1対1になってしまうと、いい意味でも悪い意味でも、密室の中にいるような関係性になってしまう。 特にコロナ以降、他の人と出会う機会が減っていると思います。他の友達の家に行ったことがない子どもっていうのがもう当たり前になっているんですね。友達の家に行くとお父さんが思いもよらぬ格好で出てきたとか、お母さんがファンキーだとか、全然違う世界が見えて、自分の考え方だとか視野を広げてくれると思うんですけども、いまは地域の大人が子どもと接して、関わることができない。下手すると変質者扱いされてしまう。地域の大人がどうやって小学校の子どもに関わるのかということに対して、もしご意見があれば教えていただければと思います。