自転車BMXレーシングパリ五輪「金」榊原爽さんの母・由紀さん①…レース漬けの日々並走「やりたいこと伸ばす、それだけ」
「週末は朝6時に家を出て練習場通い。コース横にテントを張り、カセットコンロで豚汁を作ったり、バーベキューをしたりして休日を過ごしていました」 子どもたち同士で技を教え合い、レース時には、親がフラッグ係などを担当した。帰りの車の中では、由紀さんが撮影したビデオでその日のレースをチェックするのが兄妹のルーチンになっていた。 全国大会に出場するため、バンに自転車2台を積み込み、広島、大阪、茨城、新潟と遠征も繰り返した。小学1年の夏、爽さんは、ブラジルで開催された年齢別の世界選手権に日本代表として出場、2位に輝いた。 約6年間暮らした日本に別れを告げ、再びオーストラリアに戻ったのは07年1月。競技が盛んな土地柄だったこともあり、BMX中心の生活にますます拍車がかかった。放課後、宿題を手早く終わらせると、午後6時からの練習に参加するため、サンドイッチやおにぎりの夜食を持って、片道1時間のクラブへ急いだ。 週末はレースで埋まり、クラブ練習のない日は、車の来ない近所の道路を使って、全力疾走するスプリントの訓練を繰り返した。 「子どもたちがやりたいことをやりたいだけ伸ばしてやろう。考えていたのはそれだけでしたね」 男女別の大会に物足りなさを感じていた爽さんは、いつも男の子のレースに参戦して腕を磨いた。シドニーに暮らしながらも、国際レースには日本代表として出場。08年から15年までに、年齢別の世界選手権で5度の優勝を果たした。
世界が注目
日本選手の「SAKAKIBARA」。その名は、レース界で注目を集めるようになっていた。