妻を信じきれない40代エンジニアの「墓まで持っていく話」 #令和の親 #令和の子
メメント・モリ(死を想え)
育児は本当に仕事と同じで、夫婦で担当をきっちり分けすぎると、うまくいかないんです。基本は、余裕のある人がやる。「リソースに無理が出ないよう、動的に均衡させる」ってやつです。チーム単位で遂行する仕事とまったく一緒。 領分とか担当を属人的に決め込むと、自分が関与できない領域ができちゃうじゃないですか。これが夫婦の育児だと、もし妻がなんらかの理由で担当タスクをこなせなくなった場合、全体が回らなくなって、僕も不利益を被るでしょ。これは絶対に避けたかったんです。 要するに、軸足の半分を自分以外に置くような生き方が嫌なんですよ。そっちがコケたらこっちもコケるなんて、御免こうむりたい。昔から僕、基本的には「ひとりで生きていけないと、まずい」って思考なんです。パートナーも家族もいていいけど、いなくても何ら困らない人生でありたい。 妻も子供も大切ですが、究極的には執着がないんです。「いなきゃ死ぬ」とはならない。 うちの夫婦生活は、言ってみれば常時「メメント・モリ」状態なんですよ。毎日、いつ死んでも相手が困らないように、っていうマインドで生きてる。相手に依存しないし、期待もしない。「理想像」にはベットしない。 別に、何かに絶望してるわけじゃないんです。絶望というより、諦念かな。 妻の真知子とは、この部分で波長が合っていると思います。「私、これが達成できないと嫌だ」みたいな考え方をしない点も、僕と似ている。どこへ行きたいとか、何が欲しいとか、こういう結婚生活がしたいとかが、一切ない。他人への変な執着や期待もしない。 ただ正直言うと、真知子を完全に信じきれてはいません。出会いは大学時代なので、知り合ってから30年近く経ちますが、いまだに本心を測りかねるところがあるんです。
妻は本当に僕のことが好きなのだろうか?
たとえば、なぜ海外移住を承諾してくれたかが、いまだにわからないんですよ。 真知子は結婚・出産後も、大手食品メーカーのラボで研究者として働いていましたが、僕に転職オファーが来たので家族で移住したい旨を相談したら、「いいんじゃない」のひと言で、あっさり承諾してくれました。 だけど……移住を提案した僕が言うのもなんですが、大手企業での輝かしいキャリアを捨てることを彼女が簡単に受け入れたのは、今もって謎です。 移住後、彼女は一切仕事をせず、Kindleでひたすら本を読んでいて楽しそうではありますが、自己実現的な部分やアイデンティティ的な部分をどう処理しているのか、まったくわかりません。 移住の話を持ちかけた当時、「ぶっちゃけ、もう働きたくないのよね」と僕に言ってはいました。ただ、本心かどうかの確信はいまだに持てないんです。 言葉どおり本当に就労意欲が減退していたところ、僕の転職と収入倍増話が渡りに船だったのか。あるいは、口ではそう言っているけど、本当はずっと何かを「我慢」しているのかもしれない。 ただ、「本心はどうなの?」と問い詰めて「実は……」と言われたところで、困ってしまいます。もしかしたら関係性が変わってしまうかもしれない。だから聞きません。聞かなければ平穏な毎日が続いていくので。あえて自分から、ちゃぶ台をひっくり返すようなことはしませんよ(笑)。 それで言うと、さらに根本的に、長らく僕の中でくすぶっている疑念があります。果たして真知子は、本当に僕のことが好きなのだろうか?と。