「もう死ねば解決じゃん」「飛び降りちゃおう」「首絞めちゃおう」気鋭のミュージシャン・4s4ki(アサキ)を苦しめていた“ある疾患”
――作詞については、最初にいつ頃書いたのか、覚えはありますか? 4s4ki それはたぶん高校生のころ。そこも自分が作詞作曲を一緒に始めた時期を明確に覚えていなくて。気付いたら、自然と作詞と作曲がガッチャンコ(=合体)していた感じで。
続かないバイトを転々としてDTMを購入
――曲が貯まってくると、「誰かに聴いてほしい」という欲求は自然と湧いてきたのでしょうか? 4s4ki はい。そこはえげつないほどの衝動性がはたらいて。めっちゃ恥ずかしいんですけど、「私、絶対天才だから、これ世界中のみんなが聴かないとヤバいはずだわ」とマジで思ったんです(笑)。だからデモを作るためにDTM(=デスクトップミュージック)いう手段を知って。それこそ機材を買うためにアルバイトも鬼のような勢いで始めたんですけど、まともに続いた仕事がなくて。 どこでも「要領が悪い」とすごく怒られて。実際、何も覚えられないし、基本的に全ての行動が遅いし、メモを取ってもそのメモを無くしちゃうし。だからとりあえずお給料がもらえるまで頑張って働いては辞めてを繰り返していろんなバイトを転々としていましたね。あとは日雇い。それで何とか機材を揃えて、すぐにいろんなレーベルや事務所にデモを送り始めて、路上ライブも始めました。 ――DTMのノウハウは覚えられたのですか? 4s4ki そうですね。興味のあることは加速度的に覚えられるみたいで。でも、最初は大変でした。私、0か100かみたいな思考なので、デモを送るのであれば、もうプロのCDみたいな、どこに出しても恥ずかしくない売り物みたいなクオリティじゃないと送りたくない! と考えちゃって。もちろん、当時のクオリティなんて世間的に見たら全然低かったんですけど、とにかく出来ることの100%じゃないと送りたくなかったことが作用して、DTMのやりかたを猛烈に覚えましたね。 ――つまり、衝動性が良い形で創作に繋がった面もあった? 4s4ki そう。それだけは、私にとってADHDの良いところでした。 ――例えば疾患に詳しくない人から見ると、疾患に対する薬を飲むと、眠気や意欲が減退してしまうのではないか? といったイメージもあると思うのですが、そのあたりはどうでしょうか? 4s4ki まさに私も最初はそれが怖くてお薬を積極的に飲めなかったんです。曲を書けなくなっちゃうんじゃないか、と思って……。 撮影 深野未季/文藝春秋 「出来ない自分が悪いんだ」「自分は結局こういう性格なんだ」生きづらさを感じていたミュージシャン・4s4ki(アサキ)がADHDと診断されて気づいた“よかったこと” へ続く
内田 正樹
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