【パラアスリート・大岩根正隆編】パラリンピアンはなぜゴルフをするのか?
現地時間の2024年9月8日、パリパラリンピックが閉幕した。2024年9月17日号の「週刊ゴルフダイジェスト」では、日本を代表するパラリンピアンの4人に、ゴルフの魅力やスポーツの意義について聞いている。「みんなのゴルフダイジェスト」では、4回に分けて彼らの言葉をお届けしよう!【全4回中3回目】
小須田と同じスノーボードのパラアスリート大岩根正隆は、同競技で日本初の上肢障害者だ。高校2年のとき、バイク事故で右手を失った。バイクのレーサーが小さい頃からの夢だった青年は、肩を失う可能性を排除するため右上腕を切断。自信があったバイクもバレーボールもできなくなった。片手でも乗れるマシンを作ってサーキットに持ち込んだが認めてもらえなかった。 「自分ではできると思っても周りは受け入れてくれなかった。人前に立つ自信すら持てなくなった。体を見られて何か言われているように感じ、勝手に自分の世界を作って引きこもりでした。人生終わったと思ったし、自ら終わらせようと考えたこともあります」 自信を失わせたのが人なら、回復させてくれたのもまた人だ。友達、病院で出会った人の応援で一歩一歩気持ちが強くなった。片手マヒになっても強い気持ちでリハビリするマジシャン、健常者のミュージシャンには「一人では何もできないこと」を教わった。 スポーツともまた“出会い” だった。20歳前後で偶然始めたスノーボード。二度とやりたくないとまで思ったが、仕事の先輩を見返してやろうと、こっそり練習を重ねてある大会で3位に入る。そこでまた偶然ジャンプ台を見つけてジャンプトリックにハマった。自分でジャンプ台をデザインし、パラ競技にするための活動をしたこともある。「健常者のなかで袖をブラブラさせながらぶっ飛ぶ姿は盛り上がったけど、表彰台は遠かった。28歳で引退しました」。 ゴルフは31歳で始めた。障害者ゴルフの大会にも出るようになったが「総合部門」で最下位に。 「パラアスリートの先輩にゴルフを全然面白そうにやっていないと言われて。薦められて18年に障害者スノボの全国大会に出たら優勝したんです。自分のスノボへの気持ちを押し殺していたんですんね」 北京ではクロスとバンクドスラロームに出場。今はクロスがメインだ。「もともと苦手でした。強い選手はほとんど腕があり、スタートも義手をつかって両手でバランスを取りながらできます。僕はなかなか結果が出なくて……でも自分にしかできないものを見つけることができた。自分の得意な場所で追い抜くんです。ウェーブセクションで登ったり下ったりする動作で加速させトップスピードを作るのが僕は誰よりも速い。そこで自信を持てました。これは腕がないからこそできた技です」。 今は“二足の草鞋”生活で、ゴルフの調子も上がってきた。 「ゴルフで世界に行きたい気持ちも残っていて、僕なりのクロストレーニングになっています」 19年からはアスリート雇用で現在の会社に。本気でやりたかったら自分でお金を作るべきだと大岩根。 「僕も人の紹介や自分で足を運んだりして探してきました。お客様窓口から連絡を入れた会社もあります。でも、最終的にはコミュニケーションです」 「ゴルフはルールのなかで、どんな体でもスコアがいい人が勝つという表裏がない感じがいい。僕は健常の人とゴルフすることのほうが多いけど、一緒に同じ世界で楽しめる、笑える、悩めるというのが魅力です。でも、止まっているボールを打つのは難しい。絶好調のときにベストスコアが出るわけではないし、正解がないスポーツです。1打1打状況は違いますしね」 人と会話するのが苦手だったという大岩根。今の自分を作り上げてくれたのもスポーツの力だという。 「最大のライバルが最高の友達であることも多いんです。それに、挑戦し続けると結果がどんどんつながっていくんだなと。18ホール回っていて毎回、自分の人生みたいだと思います。いいときも、とことん悪いときもある。でも自分の限界を超えられます。スノボでは、ミラノに出場して金メダルを取る。ゴルフでは、来季は選手として海外の試合を目指します」 大岩根は、「自信」を積み重ねて自分を形作っていく。
大岩根正隆さん・一問一答
Q.障害者がスポーツをするメリットは? A.自信が持てるものが見つかる Q.ゴルフの魅力は何ですか? A.同じ世界で楽しめる、笑える、悩める Q.パラリンピックの意義は? A.人生を諦めず、新しい夢を求める舞台 PHOTO/Yasuo Masuda、Hiroaki Yoda、ご本人提供
週刊ゴルフダイジェスト