バレーボール石川真佑 マジメで恥ずかしがり屋な性格から“私が変われた理由”
初めて挑んだオリンピック
東京五輪、予選ラウンド突破に向けて負けられない韓国戦はフルセットの大激戦。最終セット14対13で先にマッチポイントをつかんだ日本。勝利をかけた最後の1本は、石川に託される。 しかし、これを決めきれず、同点に。その後も石川は決めきれず、逆転負け。 次戦のドミニカ共和国にも敗戦した日本は、25年ぶりの予選敗退。これが、彼女にとって初めての大きな挫折となった。 さらに追い打ちをかけるような大スランプ。 戻せない、歯車。自分を、許せなくて。 抜け出せないまま挑んだ、2023年9月のパリ五輪予選は、全試合控えスタート。 勝てばパリ五輪出場が決まる、最終ブラジル戦。石川は第2セットから出場した。 しかし、石川はここでも決めきれず、フルセットの戦いも、日本は敗戦。試合後には 石川: 結果が出なかったので、自信をもって出来たって言うのは難しいですね。強くなって、勝ちます。 パリへの切符は持ち越しに。石川は涙をのんだ。
覚悟のイタリア
その1週間後、石川はイタリアに渡る。とにかく「自分を変えたい」と。初めての移籍、初めての海外。成功できる保証はどこにもない。 まずは居場所を作ること。自分をわかってもらうこと。でも、それが難しい。もっと自分からとわかってはいるのに。 週に1度、石川はイタリア語の勉強を続けた。 自分から動かなければ何も進まない毎日。日本にいたときは寮で暮らし、食事は準備してもらえた。でもここでは、自分で買い物をして、自分で作って。 その中で、発見も。レシピは適当でも、食事は思った以上に大丈夫。 その変化は、コートでも。とにかく笑顔で意思表示。少しくらい文法が不正確でも、とにかくしゃべる。 一番近くにいたフィレンツェのチームメイトも、彼女の変化を感じ取っていた。 チームメイト: 彼女はシャイなので、昔は話しかけられるのを待っていました。でも最近は彼女の方から話しかけてくれるようになりました。 気が付くと、チームの輪の中に。 石川: 日本でも積極的にやって行かないといけないなと思っていますし、それで自分自身が主導的になって行くと思うので、やって行くしかないです。 イタリアは教えてくれました。力の抜き方と、切り替え方と。心の遊ばせ方を。