「Netscape Navigator」誕生から30年--今なお残るテクノロジーとビジネスへの影響
Netscapeと金融 シリコンバレーには独自のビジネス文化がある。これは、1930年代にBill Hewlett氏とDave Packard氏がスタンフォード大学で友人になり、カリフォルニア州パロアルトの貸しガレージでHewlett-Packard(HP)を創設したときから続いているが、われわれが知る現在のシリコンバレーは(欠点も、億万長者も、何もかも含めて)、Netscapeの新規株式公開(IPO)から始まった。 1995年8月のこのIPOが、ドットコムブームの引き金だ。同社は1株28ドルで株式を公開。取引初日に71ドルまで急騰し、時価総額は20億ドル以上に達した。 この劇的なIPOは、インターネットで膨大な富を築けることを実証し、多くの投資家がテクノロジー企業に関心を持つようになった。Netscapeの急速な台頭から、「インターネット時間」という概念が生まれた。オンラインではすべての動きが速くなるというこの概念によって、インターネット企業の急成長を期待する熱狂がさらに強まっていく。 Netscapeの革新的な精神とMicrosoftに対抗する姿勢は、多くのドットコムスタートアップの野心的な気風を体現していた。このアプローチは、既存のテクノロジーとビジネスモデルを破壊しようとするものだった。 Netscapeがまだ利益を出していなかったにもかかわらず、同社の株価は上昇を続けていた。これが、実際の収益よりも潜在的な収益に基づいてインターネット企業を評価する前例となった。このように価値よりも成長を重んじる傾向が、現在の株式市場でも主流となっている。 しかし、Netscapeはドットコムブームの拡大に大きな役割を果たした一方で、その後の終わりの主な要因にもなった。多くのインターネット企業が極端に過大評価され、投資家は収益化への明確な道筋がないスタートアップに資金を投じていた。投機と誇大宣伝により、株価は維持できない水準まで上昇した。一時は、事業にインターネット計画があると言うだけで、投資家を呼び込めたほどだった。 Netscapeの業績不振が始まった1998年、America Online(AOL)はSun Microsystemsを加えた3社間の取引で、Netscapeを100億ドル超で買収した。それでもNetscapeの市場シェアは縮小を続けた。 多くのドットコム企業は、ビジネスモデルが持続不可能なものだったため、利益を生み出すことなく、短期間で現金を使い果たした。米連邦準備制度理事会(FRB)が1999年と2000年に金利を引き上げたことで、キャッシュフローが制限され、負債による資金調達のコストが上昇。これを受けて、投資家は投機的なテクノロジー株から資金を引き上げ始めた。 その結果、NASDAQは2000年4月14日に終わった週に25%以上急落し、ドットコムブームは終わりを迎えた。 Netscapeが金融界に与えた影響は、NASDAQの下落だけではない。Netscapeの共同創設者であるAndreessen氏は、著名なベンチャーキャピタリスト(VC)となり、数多くのテクノロジースタートアップに資金を提供した。 同氏は2009年、長年のビジネスパートナーであるBen Horowitz氏と共同でベンチャーキャピタル企業Andreessen Horowitz(a16z)を創設した。a16zはすぐにシリコンバレーのベンチャーキャピタル業界の有力企業となった。 しかし、a16zは単なるVCではなかった。資金提供だけにとどまらず、スタートアップの育成を目的とした総合的なアプローチを導入し、人材採用や販売、マーケティング、ネットワーキングの支援を含む包括的なサポートを提供した。 同社は、業種を問わず、コンピューターサイエンスを基盤とする企業への投資に重点を置いた。このアプローチが、Facebook、Airbnb、Lyft、GitHubといった多数の優秀なテクノロジー系スタートアップの発掘と支援に役立った。現代のシリコンバレーVC企業のビジネスモデルを確立したのがa16zだ。 したがって、Netscapeが歴史の中に消えつつあるとしても、テクノロジーとビジネスに与えた影響は力強く残っている。Netscapeはブラウザー戦争には敗れたかもしれないが、私たちは今後何世代にもわたってその影響を感じることになるだろう。 この記事は海外Ziff Davis発の記事を朝日インタラクティブが日本向けに編集したものです。