高性能化はある意味“自殺”? スポーツカーとは何かを考える
公道で挙動変化が楽しめない水準
最近の高性能タイヤを履いたスポーツグレードのクルマは常識的な速度では本当に何も起きない。クルマの挙動が変わる様な領域には公道では絶対に持っていけないし、仮にできる人だとしてもやっていい速度ではない。 先日某試乗会で、元レーシングドライバーが時速230キロでの挙動について話していたとメーカーの人が苦笑いしていたが、筆者は言葉を失った。別に正義の味方みたいなことを言う気はないし、制限速度を1キロも越えないとは言わないが、どういう尺度で見てもその速度が常軌を逸しているのは確かだ。自動車の評論を読んでいると「腕に自信のある向きには……」というような記述に出会うが、この腕に自信があるとはそういう領域の人たちだ。真に受けてはいけない。 だから例え「低次元エンターテインメントだ」とそしられようと、低い速度で挙動変化が楽しめるスポーツカーが筆者は好きだ。モラルを無視したスピードを出すことが黙認されていた時代はもうずいぶんと過去のことだと思う。 さて、そういう時代のスポーツカーにとって重要なことは実はサスペンションの硬さだ。硬めたサスペンションは、クルマの挙動変化が起きる速度域をどんどん上に押し上げてしまう。 挙動変化が起きる理由はドライバーの操作によって前後の荷重配分が変わるからだ。アクセルをオフにしたり、ブレーキを踏んだりすると、クルマはツンのめる姿勢になってフロントの荷重が増える。タイヤの能力は垂直荷重に比例するので、アンダーステアが消えてよく曲がるようになる。逆にアクセルを少し踏み足せば、フロントの荷重が減ってクルマの軌道は外へ膨らんでいく。この出し入れがスポーツドライブの基本で、何も法律を破るような速度、あるいはタイヤが鳴くような速度でなくてもこの変化は楽しめる。 ところが、ばねやダンパーが硬いと、車両の姿勢が変わりにくくなるためこの挙動変化を起こすのが大変になる。前述のサーキットでのフルブレーキングの様な場面ではいいかもしれないが、もっと低い速度から余裕のあるブレーキ操作をした時には荷重が呼べない。ましてやアクセルを緩めたくらいではあまり荷重変化が起きないのだ。 これにハイグリップタイヤが組み合わさると、ちょっとやそっとの速度では何も変化が起きないクルマができあがる。時速230キロで走るような異常な人にはちょうどいいのかもしれないが、普通の人が常識ある速度で走っている限り面白くもなんともないクルマが出来上がるのである。