高性能化はある意味“自殺”? スポーツカーとは何かを考える
スポーツカーの醍醐味とは
さて、筆者にとって最も長い付き合いがあったスポーツカーはケイターハム・スーパーセブンだ。基本設計が1957年というこの古典的エンジニアリングのクルマには走る以外の装備はほぼない。強いて挙げるならヒーターくらいだろう。典型的な一番目のクルマだ。 筆者は25年ほどこのスーパーセブンと付き合っていたのだが、その最大の面白さはやはりハンドリングにあった。エンジンそのものはたった100馬力のOHVでお世辞にもパワフルとは言えないし、空力性能は何も考えられていないので高速はからきしダメだ。サーキットで全開にしてもメーター読みで時速160キロくらいが関の山だから下手をするとちょっといじった軽自動車にも敵わないかもしれない。 ところが曲がるのが楽しい。ストレートエンドのコーナーではブレーキドリフトが自在にできる。ブレーキをかけながらハンドルを切ると、リアタイヤが外へ流れ始める。その流れる量と相談しながらブレーキの強さを調整することで、コーナーを回りこみながらクルマの自転を自由にコントロールできる。クルマが軽いから特に腕がなくてもブレーキ競争では圧勝。ミッドシップと違って鼻先が重いので、自転速度の変化もゆっくりと起きてくれるため、研ぎ澄まされた反射神経がなくても余裕を持って対処できる。 高速コーナーでは、トラクションの限界を過ぎるとリアタイヤが滑り始める。その境目でアクセルを調整しながら、必要な時はカウンターを当てて走ることが普通のクルマよりはるかに易しい。スーパーセブンのメカニカルな重量物はミッドシップのように重心位置に集まっていない。スケートのスピンで手足を広げると回転はゆっくりに、手足を縮めると早くなることから想像できる様に、重量物が散らばっているおかげで自転速度が遅いのだ。だからスピンに至ってもゆっくり回り、しかも絶対的重量が少ないおかげで90度も回ればタイヤの抵抗でスピンは自然に収まってしまう。クルクルとスピンをすることは決してない。 何も派手なドリフトを決めようという話ではなく、少しだけタイヤが滑り始めた領域でクルマをコントロールする楽しみはやはりスポーツカーの醍醐味だと思う。それを常識的な速度で味わうためには、あまりに高性能なモデルは都合が悪い。三番目の軽トラは、性能的にはとても低次元だが、だからこそそういう挙動の変化を法定速度内でも味わわせてくれるのである。