朝ドラ「虎に翼」で考える認知症介護。寅子夫婦は仕事と介護をいかにして両立できたのか?【親の終の棲家をどう選ぶ?】
取材・文/坂口鈴香 話題を呼んだ「虎に翼」が9月末に最終回を迎えた。主題ではないが、主人公の寅子の義母(といっても、再婚した夫の父が再婚した相手なので、夫にとっても義母だ)、百合が晩年認知症を患い、変わっていく様子がリアルに描かれていたのが印象的だった。そこで今回は、激務であろう寅子夫婦がどのようにして仕事と義母の介護を両立したのかについて考えてみたい。
介護を担っていたのは優秀な家政婦
義母が認知症になったという時代設定は昭和30年代の半ばだと思われる。有吉佐和子の『恍惚の人』がベストセラーになったのが昭和47年だから、『恍惚の人』よりも10年以上前のことだ。 当時、現在のホームヘルパーに当たる職業がないわけではなかった。昭和38年に、老人福祉法の中で、「老人家庭奉仕員」が“老人の日常生活の世話を行う者”と定義、明文化されている。が、派遣は限定的で、昭和40年末に老人家庭奉仕員のいる市町村は全体の7%前後に過ぎない。 『恍惚の人』では、嫁である主人公が一人で舅の介護を担い、疲弊し追い詰められていく様子が克明に描かれている。ましてや『虎に翼』の星家は、寅子と夫はともに働いていて日中に介護ができるはずはなく、しかも要職にあるので帰宅も遅かっただろう。上の子どもたちも働いているし、寅子の前夫との子の優未(ゆみ)は中高生だ。優未が義祖母である百合の世話をするなかでストレスをため、義姉に爆発するシーンもあったが、優未の力だけでは認知症介護は難しいだろう。 日中一人になる百合のために、寅子夫婦は通いのヘルパーを雇っていた。もちろん、当時ヘルパーという存在はないので、介護や家事を行う家政婦という位置づけだろう。都市部の富裕層は住み込みの“お手伝いさん”を雇うことも少なくなかったので、6人家族で忙しい寅子ならもっと早く家政婦を雇っていてもおかしくない。ちなみに家政婦の有料職業紹介事業が認可されたのは昭和26年だ。もっとも百合が元気なころは、百合が家事全般を行っていたようだからその必要もなかったのだろう。 その通いの家政婦は、百合の世話だけでなく、百合に振り回されて疲弊しつつある優未をはじめとした家族の精神的サポートまで行っていて、プロの家政婦として非常に優秀なことが見て取れた。周囲の口コミなどで評判の良い家政婦を選んだのかもしれない。資金力のある寅子夫婦ならではの人の使い方だともいえるだろう。 残念なことに、というか当然ながら、現在の介護保険制度では訪問ヘルパーが家族の分まで家事を行ったり、きめ細やかな精神的サポートを行ったりするのは不可能だ。時間的にも、寅子の家に派遣された家政婦のように長時間勤務するわけにはいかない。せいぜい1時間程度だ。だから、そのようなサービスを希望するとしたら、自費サービスとなる。