小さな町の縫製工場から、首相が着けるネクタイブランドに成長した「SHAKUNONE'」 新ブランド設立、取引先から干されても前進した3代目
◆入社当初はボタン一つまともに付けられなかった
----美容師からまったく別の仕事を始め、入社後は具体的にどんな仕事をしていたのでしょうか? 扱っているモノをちゃんと分かっていないと、営業も現場も何も喋れないので、まずは裁断やミシンなど針仕事をやりました。 一つずつ職人さんから教えてもらいましたが、最初はボタン一つまともに付けられないという状況でした。 ---- 入社前にネクタイの製造が始まっていましたが、それはお母様のアイディアだったのでしょうか? そうです。 当時、日本の会社がどんどん海外に工場を作って技術を移転させてしまい、日本の工場や職人さんの仕事が減少していました。 日本の小さな工場は、残った仕事を奪い合っていました。 さらに「海外で作れば安いのに、日本だと高いよね」と価格競争も発生していました。 仕事は少なくなる、単価は減る、でも材料費は上がるという、ひどい悪循環になっており、会社の売り上げは右肩下がりでした。 苦境を乗り切るため、何とか職人さんを解雇させずに仕事を続けていくために、ネクタイの製造を母が決断したんです。
◆業界の反発を受け、仕事を干されたことも
----ネクタイを作っていたとき、現在のようなブランド展開はしていましたか。 まったくやっていません。 当時は100%請負の下請け業者が新しくブランドを立ち上げることが、業界でNGとされていました。 そもそも、市場が縮小していく中で、新しいブランドは邪魔な存在です。 しかも、今まで「下」に見ていた下請けの工場から出てくる。 当然、面白くないと思う人もいました。 実際に「新ブランドをやるなら仕事を出さない」「うまくいくわけない」など、ブランド立ち上げの前後で、周囲から結構な反発を受けました。 本当に取引先が離れていった経緯もあり、言い方は悪いですが干されました。 ----タブーとされた新ブランドを立ち上げる狙いは何だったのでしょうか。 製品の品質には自信はあり、技術力や商品力をアピールして売り上げを伸ばそうとしました。 しかし、売るためのノウハウを全然持っておらず、最初の1~2年はまったく売れなかったんです。 1年目の売り上げは30万円、2年目の売り上げは100万円でした。 笏本縫製はデザイナーもおらず、専属で雇うほどのお金もなかったので、売れるネクタイがどういうものか分かっていませんでした。 そこで僕は、とにかく売り場に行ってお客さんの話を聞きました。 うちのネクタイを手に取って、ちょっと悩んで結局買わなかった人を捕まえて「なぜ買わなかったんですか?」「どんなデザインだったらよかったですか?」と聞くようにしたんです。 そうして得た情報を基に、製品をどんどんブラッシュアップし続けました。 今思えば、お客さんからすれば、かなり鬱陶しいことをやっていましたね。
■プロフィール
株式会社笏本縫製 代表取締役 笏本 達宏 氏 1987年、岡山県津山市に生まれる。3人兄妹(妹2人)の長男として育つも、最初は家業を継ぐことは考えず、高校卒業後に専門学校に通い美容師として働く。その後、母親の体調不良を機に家業に入社。未経験の状態から縫製技術を学ぶ。自社ブランドのネクタイの売上アップに尽力したあと、2021年に三代目社長に就任。SNSでの情報発信や「つやまスーツプロジェクト」の展開など、常に新しい話題を提供している。