「クリスマスの奇跡」 生後3カ月で養子に出された米男性、75年後に実の家族と出会う
(CNN) ディクソン・ハンドショーさん(75)はこれまで、自分は一人っ子だと思って人生の大半を過ごしてきた。しかし養子に出されてから数十年後、数人の兄弟姉妹がいることを知り、年末休暇の直前に会うことができた。 【写真】実のきょうだいとハンドショーさん ノースカロライナ州に住むハンドショーさんは先週末、ニューヨーク州ロチェスターに飛び、異母きょうだい数人と出会った。毎年恒例となっている一家のクリスマスパーティーを控えたタイミングだった。 ハンドショーさんはCNN提携局WHAMに対し「これまでの人生でずっと、どこかに兄弟姉妹がいることを夢見てきた」とコメント。「私に訪れたクリスマスの奇跡だ」と語った。WHAMは20日、空港でのきょうだいの初邂逅(かいこう)の様子を捉えた。 21日には、今年に入るまで存在を知らなかった50人を超える親戚と顔を合わせたという。ハンドショーさんがCNNの24日の取材に明かした。里親の唯一の子どもであり、自身の子どもがいないハンドショーさんにとって、いとこやその子どもたちも参加した集まりはうれしい驚きだった。 「これまで同じDNAを持つ人に会ったことはなかった」とハンドショーさん。しかし親戚に会ってみると、たちまち打ち解けた。「素晴らしかった」「新しい家族からもらったような無条件の愛を実感したことはない」 ハンドショーさんは1949年、ニューヨーク州バファロー生まれ。生後3カ月で養子に出され、幸せな幼少期を送った。育ての親は養子を迎えたことを隠していなかったという。 「実の家族を見つけたいといつも思っていたが、ニューヨーク州は養子縁組前の出生証明書を非開示にしており、発見は不可能だった」とハンドショーさんは振り返る。 しかし2019年の法案可決を経て20年、養子に出されたニューヨーク州民に対して本来の出生証明書が開示された。 ハンドショーさんはこの年の8月、本来の出生証明書を受け取った。実の父親の名前がロバート・「バド」・ローミングであることを知ったのはこの時だった。 「父親の名前を知って最初にしたのはグーグル検索だった。すると死亡記事が出てきた」「父親とそっくりなことに驚いたし、自分に兄弟姉妹がいることもすぐに分かった」 ハンドショーさんが養子に出された理由は不明だが、父親がコーネル大学物理学部の大学院生だったことは分かっている。母親は学部の秘書だった。 実の母親に他の子どもはいなかったものの、ハンドショーさんは父親に別の子どもがいるのではないかと常々思っていた。 父親のローミングさんはハンドショーさんの誕生後、3人の連れ子がいる女性とロチェスターに移住。ローミングさんは男の子3人を養子にしたという。ローミングさんと女性はその後、男の子4人と女の子1人をもうけた。ハンドショーさんは今回、父親の養子になった男の子の一人、ゲリー・ローミングさんに連絡を取った。 「電話をかける相手としてゲリーを選んだのは、彼も私も養子だったから。私の境遇に共感してくれると思った」(ハンドショーさん) CNN提携局WHAMによると、ゲリーさんは仕事中に昼食を取っていた際、ハンドショーさんから最初の電話を受け取った。 ゲリーさんは「見覚えのない番号から電話がかかってきた。知らない番号の電話に出ることはめったにないが、この時はどういうわけか出ることになった」と振り返る。「すると彼から『私の名前はディクソンです。ゲリー・ローミングさんですか?』と言われ、『そうです』と答えた。彼が『私はあなたの兄弟なんです』と続けたので、何事かと思った」 ハンドショーさんから送られてきた写真を見て、ゲリーさんはすぐに養父の面影に気付いた。「彼に写真を送り、(ゲリーさんが)その写真をきょうだい全員に転送した」「彼らは『これは父さんでしょう』という反応だったが、ゲリーは2時間半にわたって焦らした末、『これは新しい兄弟なんだよ』と打ち明けた」という。 ハンドショーさんは今回のクリスマスは新しい家族と同席していないが、近いうちにもっと多くの時間を一緒に過ごしたい考えだ。 「夏になったら一緒にキャンプに行くつもりだ」とハンドショーさん。既にきょうだいを交えた専用チャットグループを作っていて、「毎日やり取りしている」と語る。 現在、ハンドショーさんときょうだいは失われた時間を埋め合わせている状況。ただ、出会いが遅くなったとはいえ、一度も会わずに終わるよりは良かったとハンドショーさんは語っている。