書評家・杉江松恋の野崎まど「小説」評「10代の幸せな読書体験が蘇ってくる!」
視点の飛躍が楽しい
最初のほうに視点の置き方に特色があると書いた。この最後に浮かび上がってくるピースと視点の問題は密接に結びついているのだが、それも説明しない。ただ、おもしろい文体だと書くに留めたい。おもしろい文体なのである。カメラは基本的に内海の背後にあり、肩越しに彼が見ているものを写している。内海の内面を代弁することもあるが、読んでいると間違いなくカメラは彼の内側になく、外側にあるのだということを意識させられる。時折ぽんと飛ぶこともある。内海や外崎が出会った人々の側に移って、外側から彼らを描写するのである。まるでカメラを操作する者が、そうだ、ここで彼らの外側にある状況を録っておかなければ後で全体図を把握するときに困るはずだぞ、と気づいたかのように。ぽんと飛ぶ。その飛躍が楽しい。 小説についての小説であることは間違いない。小説について一から学んでいく内海の視点は、それ自体が一つの小説論的な問いかけになっている。ウィリアム・バトラー・イェイツの詩や芥川龍之介の小説を読んだ内海は「同じ人間が書いているのに人智を越えているような」感じを覚えることに不思議を感じるが、答えを出すことはできない。たぶん読者もできない。そうした答えの出ない問いについて考えるのも『小説』の楽しみ方だ。 読むと小説を好きになる。好きではなかった人も好きになってくれる、と願いたい。もともと好きだった人はもっと好きになる。それは自信をもって断言できる。私はそうだった。
朝日新聞社(好書好日)