「落合もキレています!」40歳落合博満もケンカに…「危なすぎるデッドボール」大乱闘で“指2本骨折&3人退場”…野村ヤクルトvs長嶋巨人、最悪の夜
福岡で“伝説の試合”が生まれる
なお、3回に木田が西村に死球を与え、野村監督が執拗に抗議している間、巨人の内野陣はマウンド付近に集まっていたが、一塁手の落合だけはひとりホームベース付近まで前に出て、抗議の様子を険しい顔でじっと見つめていた。まるで、一塁側ヤクルトベンチに対して、「オレは一歩も引かないよ」というファイティングポーズを取り、同僚たちを鼓舞しているようでもあった。 実は当時、おとなしい選手の多い巨人は、乱闘騒ぎがあると途端に萎縮して試合に負けると指摘されていた。 この11日の乱戦も落とし、警告試合となった翌日こそエース斎藤雅樹の力投で両リーグを通じて20勝一番乗りも、13日の横浜戦では15失点の大敗。そこから3試合続けての一桁安打でシーズン初の3連敗を喫した。投手陣は外角一辺倒のピッチングを痛打され、打者は内角を意識するあまりスイングを崩す悪循環。「木田、橋本ほか長嶋巨人は“危険球ノイローゼ”に罹っている!?」(週刊ポスト1994年6月3日号)と揶揄する声もあがり、春先から目いっぱい飛ばした巨人は“5月病”の息切れを囁かれた。 こんな時こそ、なんとかチームの雰囲気を変えるきっかけが欲しい。その最中の、15日に横浜戦の先発マウンドへ上がった槙原寛己は、最速148キロと直球が走り、絶好調のピッチングを披露するも、試合は3回途中で雨天中止に。やはり今の巨人にはツキがないのか……。結局、槙原は中2日で九州遠征の広島戦に先発することが決まる。 今思えば、この横浜の雨が、1994年5月18日の福岡での大記録に繋がっていくのである。 <続く>
(「ぶら野球」中溝康隆 = 文)
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