「落合もキレています!」40歳落合博満もケンカに…「危なすぎるデッドボール」大乱闘で“指2本骨折&3人退場”…野村ヤクルトvs長嶋巨人、最悪の夜
信子夫人「休んだら、またぶつけられるよ」
その己の仕事に対する職人肌のこだわりの一方で、「どこのチームの四番であっても、四番は四番なんだよ」とクールにグラウンドに立つオレ流の二面性。照れ屋であり、ときに自信家。リアリストであり、ときにロマンチスト。冷静と情熱の狭間に、選手・落合は存在した。 ただひとつ確かだったのは、FAでの巨人移籍時にあれだけ球団OBたちから批判された落合が、皮肉にもその「巨人の四番」という消えかけた伝統を結果的に守ろうとしていた事実である。大量リードの試合で、長嶋監督から途中交代を勧められても「監督、まだ早いですよ。ゲームはまだわかりませんよ」と断り、グラウンドに立ち続ける背番号60。「週刊文春」の人気コーナー「阿川佐和子のこの人に会いたい」のゲストに呼ばれた信子夫人は、そんな夫の心境をこう代弁している。 「落合はF・A(フリーエージェント)宣言して巨人に入ったけど、その間、OBの方やマスコミに『落合なんか取ったって意味がない』とか『なぜ四十男なんか取るんだ』とか、わんわん言われたでしょう。だから、本人には『落合一人で底上げなんかできるかって批判食っているんだから、休むわけにはいかないのよ。あんたは一年契約で巨人の助っ人。それに、ぶつけられて引っ込めば、また、ぶつけられるよ』って言ったのね」(週刊文春1994年6月9日号) プロとして、痛みを見せることは、弱みを見せることでもある。治療後、トレーナー室から出るときは、テーピングの上からアンダーシャツをしっかり着て、あえてマッサージを受けただけという顔で歩いた。 開幕ダッシュに成功した首位・巨人に対する、各チームの攻めは厳しさを増していた。落合の前を打つ三番の松井秀喜も4月16日のヤクルト戦で執拗に内角を突かれ、「あと5ミリずれていたら、間違いなく骨折していた」(萩原宏之チーフトレーナー)という右手直撃の死球を受けた。5月中旬、その死球を巡り、長嶋巨人は宿敵の野村ヤクルトとひと騒動起こすことになる。
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