ウナギ・サヤカを「査定」した!プロレスとは無縁だった夢見る少女はいかにして、人気女子レスラーに上り詰めたのか
「絶対無理だ」と言われることを一歩ずつでもかなえていく姿を見せる
20年にリングネームを現在のウナギ・サヤカに改め、スターダムへ参戦。トップ選手として活躍したが、待ち受けていたのは解雇通告だった。 「クビになった理由は正直、あんまりよく分からないです。怒られることもあったので、それの積み重ねなのか(笑)。フリーになるのは明日の保障がなくなるので、めっちゃ怖かったですけど、辞める選択肢はありませんでした。できる限りやってみてダメだったらしょうがない。逆に組織に属さなくなって、あとは攻める他ないぞと」 22年10月に自身のユーチューブで「ギャン期突入」を宣言し、他団体へ殴り込むスタイルへと変貌。アジャコングや大仁田厚と爆破マッチを繰り広げたり、男子レスラーが居並ぶリーグ戦に参戦したり、物おじする様子は皆無だ。24年1月に開催した初の自主興行では「超満員札止め」の実績を作り上げた。25年2月は“女子プロレス界の横綱”こと里村明衣子とのワンマッチ興行、4月には両国国技館での自主興行が控える。 「まだキャリア6年だから、『この人との試合はもうちょっと実力を積んでから』とか言ってくる人もいるんですけど、もう38歳なんで遠慮している時間はないです。ゆくゆくは東京ドームで自主興行をやりたいですね。周囲から『無理じゃない?』と言われて、諦めてしまうことってあるじゃないですか。でも、『ウナちゃんが頑張っているから、自分も新しいことに挑戦したよ』と報告してくれるファンの方もいて、そう聞くと『私も頑張らないと』って。みんなが『絶対無理だ』って思っていることを一歩ずつでもかなえていく姿を見せることが、今のウナギ・サヤカとしての仕事なのかなと思います」 (取材・文=高月太樹/日刊ゲンダイ) ▽ウナギ・サヤカ 1986年大阪府生まれ。小中学校ではアーティスティックスイミング、高校ではチアリーディングに没頭。2019年、東京女子プロレスからプロデビュー。翌20年スターダムに参戦。22年フリー転向。アイアンマンヘビーメタル級王座、Kitsune世界王座、JTO GIRLS王座の3冠達成。ファンの呼称は「ひつま武士」。