イチローにプロ初本塁打を献上した野茂英雄が渡米後、「イチローと再び対戦してみたいですか?」の問いに返した言葉とは?
ドジャー・ブルーの風 #2
野茂英雄がロサンゼルス・ドジャースで地区優勝を果たした際の逸話などが収められた、著書『ドジャー・ブルーの風』は1996年に刊行された。この度、大谷翔平と山本由伸、2人の日本人投手がドジャースのメンバーとして迎える開幕に合わせて新装版として復刊した。 【写真】野茂英雄が評価したイチローの変わらない“スタイル”
本記事では書籍の中から、まだメジャーリーグに挑戦する前のイチローについて、本を企画し、構成を担当した二宮清純氏の当時の解説付きでお届けする。
イチローの可能性
「メジャー・リーグでやってみたいと思いますか」 そんな質問を受ける機会が一番多い日本のバッターは、やっぱりイチローだと思います。 イチローがメジャー・リーグで活躍できる可能性は、ここ2年間の数字が、ハッキリと物語っている(以下解説・二宮清純)。 1994年、130試合出場、打率3割8分5厘、13本塁打、51打点、盗塁29。 1995年、130試合出場、打率3割4分2厘、25本塁打、80打点、盗塁49。 数字で示された達人級のバッティングと足の威力に加え、外野手としての守備も申し分なく、彼こそはメジャー・リーガーの資質を最も備えた日本人プレーヤーということができる。年齢も23歳と若く、これからさらにグレードアップする可能性を秘めている。 ところで、1990年代に入って、パ・リーグの野球は大きく変貌した。それをイノベーションと呼ぶなら、ひとえにそれは球場の拡張化に原因はあった。 91年のグリーンスタジアム神戸、92年の千葉マリンスタジアム、さらに93年の福岡ドーム。パ・リーグはセ・リーグよりもひと足先に〝箱庭野球〞に別れを告げたのである。 球場拡張化時代に乗り遅れた近鉄も大阪ドームの建設に乗り出し、97年に本拠地を移すと明言している。 球場の拡張化により、打つだけしか能のない腹の出たプレーヤーは、生存を許されなくなってしまった。そんな中、彗星のように現れたのがイチローなのである。彼こそはモダン・ベースボールの旗手といっていいだろう。 バッティングは言うまでもなく、彼は足と肩両方で野球の近代化に貢献した。内野安打数は2年続けて両リーグ最多。ファーストまでの全力疾走は、相手内野陣に極度の緊張を強い、肩やダッシュに問題のある野手に〝プロ失格〞の烙印を押すことに成功した。 その結果、パ・リーグには次のような〝笑い話〞まで誕生した。 某球団のピッチング・コーチが語る。 「最近のパ・リーグのピッチャーは腹が引っ込み、皆、スマートになってきただろう。あれはイチローの内野安打を封じるため、皆ファーストまで全力疾走でベースカバーに入るためなんだよ。チンタラ走っていると、イチローに追い抜かれちゃうからね。オリックス戦の前は、投内連携の練習で懸命に走らされるから太るヒマもない。まぁ、これも一種の〝イチロー効果〞かな」 また、イチローの足に悩まされたパ・リーグの5球団は、彼の強肩にも随分ひどい目に遭わされた。 あまりにも有名なシーンは昨年7月2日。5・5ゲーム差をつけて迎えた対西武戦。 1回裏の攻撃で西武は、2死二塁から3番佐々木がセンター前へ。誰もがホームインと思った瞬間、イチローのバックホームがツーバウンドでキャッチャー中嶋のミットに突き刺さった。ホームベースの寸前で二塁ランナーのジャクソン(現サンフランシスコ・ジャイアンツ)はタッチアウト。 それを目のあたりにした当時西武コーチの伊原は「優勝は難しいなァ。オリックスの力は我々が想像している以上だ」とカブトを脱がざるをえなかった。これはパ・リーグの盟主交代を告げる象徴的なシーンでもあった。 イチローの肩は日本シリーズ第1戦でも爆発した。2回2死満塁の場面、バッター荒井(現近鉄)の打球はライト前へ。イチローは捕球するなり矢のような返球を送り、俊足の二塁ランナー真中をホームベースで刺してみせた。 しかし、そのプレーについてイチローは「あんなのウチでは当たり前」と事もなげに言い切った。試合には敗れたものの、野球の質はヤクルトあるいはセ・リーグよりもこちらのほうが上、とでも言わんばかりに─。(解説・二宮清純)