「寂しさ」の意外な価値をあなたは知っていますか?「他者を、物語を語り合う」小川洋子×東畑開人対談
社会が「個性」をどう受け入れていくか?
小川:つまりその人の中の時間の問題ですよね。自分にとって今はどういう時期なのかを見極める。その人が苦しみながら井戸を掘り続けていって、ようやく見つけた泉でかわいい小鳥が水浴びをしていた。それを否定されたらもう地上に戻っていけないというときに、「公務員で頑張りなさい」と言うのは残酷です。 東畑:カウンセリングの不思議さで、公務員で頑張ってと誰もが思う瞬間に、彼らは小鳥ブローチをつかんでやってくるんです。周囲は「どうして今なんだ」と思うんだけど、本人にとってはまさに今なんです。 小川:小鳥ブローチはその人が治っていくきっかけになるものでもある。治療のどこかで、必ずいい偶然が起こるときがあると河合隼雄先生もおっしゃっていました。実はその偶然は前々から準備されていたんだけど、クライアントさんがそれに気づく余裕がなかっただけで、治療が進むことで自分がいい偶然に恵まれていたことに気づくときが来る。そして、その偶然を持ってくるのはクライアントさん自身なので、カウンセラーとしては治した感触がないんだと。 東畑:前から小鳥ブローチを持っていて、公務員としても頑張ろうとしていたんだけど、ブローチの存在がどんどん大きくなることで緊張感が増し、実生活がヤバくなっていく。するとそこに物語が生まれてきますよね。小鳥ブローチと公務員がせめぎ合う物語。そういうものがおそらく個性なんでしょうが、なかなか大変ですよね。 小川:カウンセリングは、そうやって物語が生まれる瞬間にもっていくためのものでもあるのでしょうね。だから時間が必要になってくる。 東畑:長い時間が必要です。小鳥ブローチの話をできるようになるには年単位ですね。 小川:小鳥ブローチがこれほど話題になるとは思いませんでした。今回の5本の中で書いていて一番楽しかったのは「今日は小鳥の日」なんです。私はホテルに行くと、催しの看板を見るのが好きなんですね。たとえば「日本バネ協会総会」と書いてあると、バネにも協会があるんだ、世界は広いなと思う。そこではバネについての話し合いが行われ、バネのための会計が承認され、立食パーティーをしたりしながら、私にはついていけない専門的な話をしているんだろうなと。ホテルの催しの看板はネタの宝庫です。 東畑:それを見て、小説家がとんでもないコミュニティを空想しているというのがまた愉快ですね。 小川:現実は常に作家の想像を超えていきます。たとえば、ホテルの宴会場で「小鳥ブローチの会」が開かれていて、「小鳥ブローチの会って何だろう」と私が想像して書いたのがこの短編だったとしたら、きっと現実はもっと上を行っていると思うんです。この間もサイン会で、楚々とした美しい女性がちょっと変わったハンドバッグを持っていらっしゃったんです。尋ねてみたら、「私は家でクジャクを飼っていて、今日は抜けた羽根をハンドバッグに貼り付けてまいりました」と。噓か本当かわからないんですけど、庭でクジャクが飼えるなんて、どんな豪邸なんだろうかと考えてしまって。そういう想像を超えたことがよく起こるんです。 東畑:最高ですね。そういう変わっている人や変わっている行動を、どう迎え入れるかというのは、近年の社会では大きく課題になっていることだと思います。個人の自由と社会の要請とのバランスですね。