「寂しさ」の意外な価値をあなたは知っていますか?「他者を、物語を語り合う」小川洋子×東畑開人対談
銀座のバー、祇園のスナック
小川:世間では「あの人、変わってるよね」というだけではじき飛ばされかねない。今はADHDとかすぐ病名がつく。むしろ病名があったほうが安心できたりする。せめて小説の中では、変わっている人の言動を魅力として書いていきたい。 東畑:河合隼雄のカウンセリングはあまり診断を重視しませんでしたし、僕もそういう教育を受けていました。つまり、ADHDとかそういう病名を使わない。ただ、やっぱり病名を使ってはいけないとなると、相手をうまく理解できないというのもあるんです。この人は統合失調症、この人は鬱とカテゴライズすることで、それぞれに対して適切な対応ができるというのはあって、そういう意味で自分が専門家として機能するために診断名は必要なものだと考えるようになりました。社会的に見ても、ADHDとか発達障害とかいろいろなカテゴリーが生まれることによって、自分の心を捉えやすくなった一面があって、名づけにはよさもあったと思います。 でも、発達障害の自助グループをたとえに出すと、「俺たち発達障害だよね、こういう生きづらさがあるよね」とカテゴライズして支えあえる一方で、そこに集まっている人は一人一人が違っているというリアリティもあるわけです。そこで出てくるのは、「○○君らしい」とか「△△さん的な」という捉え方による診断名を超えた個人性の世界です。これは本質的には文学だと思うんですよね。診断名を超えたところに個別の人間がいるというのは、臨床というものが文学的な仕事でもあることの根拠ですね。 小川:なぜ日本人は銀座のバーのホステスさんをママと呼ぶのか、私はずっと不思議でした。モーレツサラリーマンたちが夜疲れて銀座のバーに行って、ママにいろいろ聞いてもらう。あれも一種のカウンセリングじゃないかなと思うんです。 東畑:僕は昔、京都に住んでいたときに、祇園のスナックでバイトしていたんですが、お客さんの7割が国税庁の職員でした。夜になるとドーンと扉を開けて、「おかあちゃん、いる? カラオケ歌うぞ」とか言うんです。昼は国家に自分を同一化して仕事している人が、夜はママさんに「あんた、そんなことしてるからダメなの」と怒られて、嬉しそうに「ごめん」とか言っている。僕は、その姿が人間的で大変いいなと思っていました。 小川:ママとは、そういう存在なのでしょうね。私も結婚して30年が過ぎて、旦那さんとうまくやっていく方法は、自分が「ママ」になるしかないのかなという結論に至りました(笑)。 東畑:諦めが出てきた(笑)。 小川:家族に対してもペットに対しても、自分の時間をどれだけ捧げられるか、が大事になってきます。しかも、何の見返りも求めずに。 東畑:そうしたら、小川さんは誰に世話されているんですか。 小川:年をとったら誰にケアしてもらうのか、それは難しい問題ですね。もしかしたら「推し」かもしれない。私にも演劇系に推しがいて、全国の劇場を巡ったりしているんです。いつ推しができたかというと、子どもが巣立ってからですね。それで初めて、ファンクラブというものに入った。人生はよくできているなと思いました。