「寂しさ」の意外な価値をあなたは知っていますか?「他者を、物語を語り合う」小川洋子×東畑開人対談
社会的な生き方、個人的な生き方
前編「1ヶ月に1冊も本を読まない人がこんなに多い時代に「心」はどうなっているのか?から続く→ 東畑:『耳に棲むもの』では、小川さんの原作を山村浩二監督が映像化したVRアニメーションも含めて、いろいろな角度から主人公の人生を切り取っていくじゃないですか。核心がどこにあるかはよくわからないけれど、映像や小説を通して、サラリーマンの謎がだんだん立体感を持って迫ってくる。読者の中に、こういう人がいたんだなという感覚が生まれてくるには、彼をいろいろな角度から見ることが大事なのだろうなと思いました。 小川:そもそもVR映画をつくった段階で、『耳に棲むもの』の仕事は終わりのはずでした。それを「群像」の編集者から「これをもとに連作短編を書いてください」と言われて、面倒くさいことを言うなあと思いながら書いていったんです(笑)。でも振り返ると、やってみてよかった。5作の短編によって、VR映画のために考えた粗筋とは全く違うものが見えてきて、一つの作品をより掘り下げていくことができました。この体験によって、あのセールスマンが一層愛おしくなっちゃいました。 東畑:名人物になりましたよね。短編の中に小鳥ブローチの話(「今日は小鳥の日」)がありますよね。小鳥ブローチをつくる人が集まる会があって、会長は口に小鳥を詰め込んで死んだということで、なんというか不条理で、シュールな話があります。ああいう物語を猟奇的に感じるのではなく、愛すべき人たちの話として感じるときの心の働きというのは不思議ですね。自分とはかけ離れた生き方や、理解できない趣味嗜好について書かれていたんですけど、そういうものを不気味さではなく、愛らしさとして感じる。 小川:人知れず小鳥の羽を集めてブローチをつくることが唯一の喜びである人たちが、世界のどこかにいたっておかしくないですよね。私は過去に、エレベーターの中で暮らす人や、チェスが好き過ぎてチェス盤の下に住んでいる人が出てくる小説を書いてきましたが、現実にも「何なんだ、この人は」という人はたくさんいて、表面上は国家資格を取ったりして社会で立派に生きている。普通の人に見えながら、家に帰ると物置で小鳥ブローチをつくっていたり、耳の中に棲むカルテットと会話したりしている人を見つけてくるのが、作家の仕事の一つなんですよね。 東畑さんも、カウンセラーとして公表できないでしょうが、いろいろな人のものすごい物語に毎日接しておられると思います。 東畑:お聞きしていて思ったのですが、僕はカウンセリングをしていて、どのクライアントに対しても常に悩むことがあるんです。それぞれの人に一方で小鳥ブローチをつくっているようなきわめて個人的な生き方があって、もう一方で公務員もやっているような公共的で、社会的な生き方もある。僕の仕事は、どうしても公務員をちゃんと続けられるようにすることに価値を置くところがあります。公務員辞めて、小鳥ブローチだけの生活になっちゃうと人生は危険になりますから。 小川:そして、本人も周りも実生活をちゃんと送りたいと望んでいる。 東畑:そうなんです。社会的に安全に生きていけるようになりたいと。でも、小鳥ブローチをつくることがその人にとっての実存というか、生きる上で重要なことであるのも事実です。で、うまく使い分けられたらいいのでしょうけど、往々にしてそううまくいかなくて、2つがバッティングして、苦悩するわけです。その人らしさと社会的な望ましさの間の葛藤というか、カウンセリングの中で今はどっちを大事にすべき段階なのかについて、いつも悩んでいます。