“芯が強く、控えめ”が美徳の明治時代 女性に人気だった写真のポーズとは?
せっかく写真を撮るなら、少しでも美しく写りたいと思う人は多いと思います。最近は女性たちのあいだで、顔に手を添えたポーズが「小顔」に見せる裏ワザだと話題になっています。 上の写真は明治中期ごろに撮影されたものですが、この女性たちの手元が何やら気になります。全員が袖に手を隠しているのは、これはもしや当時流行していた美しく見せるポーズだったのでしょうか? 明治期の女性の美意識とその根拠について、大阪学院大学経済学部教授 森田健司さんが解説します。
写真は被写体の魂を吸い取ると思われていたのか
自分を写真に収める際、多くの人は「何らかのポーズ」をとる。現代であれば、指で何かサインを作ったり、顎に手を添えたりする人も多いだろう。誰もが、できるだけ美しく、格好良く写真に収まりたいと思っているからである。 写真が一般化した明治の中期以降、被写体となる人々は「どうすれば見栄え良く写ることができるか」をずっと考え続けてきた。大げさに言えば、これは不変の問いである。しかし、答えとして導き出されるポーズは、時代によって大きな差があった。 冒頭に示した写真は、明治時代に撮られた女性の集合写真である。若い女性ばかり、12人が写っている。中には、幼児も含まれているようだ。 このような集合写真自体は、珍しいものではない。しかし、この写真を現代に生きる我々が眺めたとき、不思議な違和感が生まれるはずだ。「ほぼ全員が手を袖に隠している」――このことが、異様だからである。 彼女たちは、なぜこのようなポーズを取っているのだろうか。これについては、多くの古写真研究家が理由を探し続けてきた。その中で、いくつかの説が生まれている。主要なものは、以下の3つである。 1. 「写真に手が写ると、手が大きくなってしまう」という迷信から。 2. 「写真に手が写ると、手に良くないことが起きてしまう」という迷信から。 3. 「手が小さい方が美人である」という美的感覚によって、手自体を隠してしまった。 上の二つの説は、特に興味深いものである。写真が被写体の魂を吸い取るなどの奇説は、明治どころか、昭和初期辺りまで、地方によっては残存していた。最新の自然科学が、妖術や魔術であるかのように受け取られることは、歴史の中でよく見られるものである。 ところで、一番目の説と三番目の説は、通じるところがあるようだ。共に、「手が大きい女性は、美的に問題がある」という前提を共有しているからである。 手の大きさの話は、よく浮世絵に描かれた美人を引き合いに語られる。江戸時代以来、絵の中にいる美人は、「現実の人間に比べて手が小さい」というのである。これが、「手が小さい方が美人」説の、最も大きな根拠となってきた。