“芯が強く、控えめ”が美徳の明治時代 女性に人気だった写真のポーズとは?
手を隠すのが「おしとやか」
明治時代の写真を眺めていると、確かに手を隠すポーズをした女性が多くいることがわかる。ただし、それは全員ではない。先ほどの写真では、幼児を除く11人全員が手を隠していたが、ここに掲載した2枚に写る3人は、全員成人女性(か、それに近い年齢)であるにもかかわらず、1人は手を全く隠していない。物心のついた女性であれば、誰もがこのポーズを取ったというわけでもないのである。 それでは、なぜ不自然に手を隠して写る女性が多かったのだろうか。やはり、カメラに手を写されてしまうと、何か問題が起きると信じていたからだろうか。私は、そうではないと考えている。 この結論は、先ほども取り上げた浮世絵など、江戸~明治時代に描かれた絵から判断したものである。江戸~明治時代に絵に描かれた女性は、普通のシーンでは手を隠していない。しかし、「誰かに見られて、ポーズを取っている女性」は、手を袖に隠して描かれているものが意外に多い。また、「恥らっている女性」に関しても、同じである。春画などでは、恥らう女性は手を袖に隠した上で、その袖を口元に持っていっているものが多い。つまり、その場合は手のみならず、口も隠しているのである。 このような状況証拠から判断すれば、「手を袖に隠す」というのは、当時において「女性らしさ」を強調するポーズだったのではないだろうか。上品な女性に見えるよう、このようなポーズを取ったのではないか、ということである。すっかり死語となった修飾語を用いれば、「おしとやかな女性」に見られたくて、手を隠したのだと思われる。 これが正しければ、カメラで撮影されることによって「手に変化が起きる」という迷信があり、それが「手を袖に隠す」というポーズを生み出したわけではなくなる。 昔から、手というものは比較的「下品な部分」とされることが多かった。少なくとも、日本の歴史の中ではそうである。 例えば、「手を隠す」のとちょうど逆の、「手を出す」という表現がある。これは、「人や物に積極的関わる」ことだが、「暴力を振るう」や「物を盗む」、そして「(特に女性と、適切ではない)性的関係を持つ」という意味にも用いることができる。概して、ネガティブな雰囲気を醸し出す表現だと言ってよいだろう。 芯が強くありつつも、控えめであることが「女性らしさ」の条件とされた明治時代。女性たちが手を隠して写真に収まろうとしたのは、その規準に合致した「世間で評価される女性」に見えるよう、努力してのものだと言えるのではないか。そう考えれば、これは承認欲求が生み出したポーズだとも考えられる。 このような背景を踏まえた上で明治時代の人物写真を見ると、手を袖に「隠していない」女性が俄然たくましく見えてくるから、面白いものである。 (大阪学院大学経済学部教授 森田健司)