コメ市場が部分開放となった“交渉の舞台裏” 外交文書と細川元総理のインタビューで明らかに 「針の穴に糸を通すような交渉」
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今年、日本国内ではコメの供給が不足し、輸入米も7年ぶりに完売する事態となりました。海外からコメを輸入することが決まったのは今からおよそ30年前のことですが、当時の外交交渉の舞台裏がきょう明らかになりました。 関東地方にある巨大な倉庫。政府が一元的に管理する「あるもの」が保管されています。 記者 「天井近くまで積み上げられた大量の袋。実はこれら全て、政府がアメリカから輸入したお米なんです」 中身は全て、海外から輸入した「ミニマム・アクセス米」といわれるコメ。年間に輸入する77万トンのうち、多くは家畜用のエサとして安く販売され、国にとっては財政負担となっています。 なぜ輸入を続けるのか。政府がその決断をした交渉の舞台裏が、きょう公開された外交文書と当時の総理・細川護煕氏への単独インタビューで明らかになりました。 細川護煕 元総理 「たとえ内閣が潰れてもですね、なんとしても腹をくくってやるしかないと」 きょう公開された外交文書で明らかになったのは、GATT、ウルグアイ・ラウンドの交渉過程です。ウルグアイ・ラウンドとは、多国間による自由貿易交渉のことで、農産物の輸入規制を撤廃することを原則としていました。 交渉で焦点となったのが、アメリカなどが強く市場開放を迫ったコメです。国内では自由化に反対する声があがるなか、政府は板挟み状態に。 このときの状況について、総理大臣だった細川護煕氏は。 細川護煕 元総理 「国の内と外の矛盾を何とか解決するために、際どい外交交渉だった」 公開された外交文書では、交渉で日本政府が苦慮する様子が記されています。 GATTの事務局長が細川氏に宛てた手紙では。 サザーランド GATT事務局長 「今こそ日本は農業問題について行動を起こすべきだ。日本がこちらの提案を受け入れることを強く促す」 妥結に向けて、決断するよう迫る記述が残されていました。 結局、全面的な市場開放はしない一方で、最低限のコメを毎年輸入することで合意した日本政府。細川氏によると、実はこうした要求は形式的なもので、“建前”としての側面が大きかったと語ります。 細川護煕 元総理 「他(の国)に対して日本にもこうやってプレッシャーをかけたぞっていう、そういう顔立てっていうこともあったと思いますよ」 正式に発表する数か月前には、すでに日米の政府間で秘密裏に、コメの部分開放について合意していたという細川氏。 しかし、当時は秘密交渉の存在を徹底的に否定していました。 細川護煕 元総理 「多国間交渉ですからね。そういう話が漏れると、全部ご破算になってしまう。知らぬ顔の半兵衛でいくしかないんですね」 あのとき合意していなかったら国際的にも大きな批判を浴び、貿易立国として成り立たず、相当な痛手になっていただろうと話します。 細川護煕 元総理 「ウルグアイ・ラウンドを日本がぶち壊したということになると、戦犯としての問題は大変大きなものになる。針の穴に糸を通すような交渉を、困難な国内情勢の中で何とかやり遂げることができた」
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