御嶽山麓で味わう“幻の蕎麦”。 長野県木曽郡「時香忘」
御嶽山麓で味わう“幻の蕎麦”。 長野県木曽郡「時香忘」
いにしえより民間信仰が強い木曽御嶽山の麓。かつて江戸時代に日本四大関所のひとつ「福島関所」が設けられ、木曽路の政治と文化の要所として栄えた木曽町は、今も美しい面影を色濃く残す。その道中に、全国各地から食通が訪れる孤高の蕎麦屋があるという。限りなく何も足さない、何もひかない――。“幻の蕎麦”を手操る旅へ。
蕎麦激戦区の長野でゼロから孤高を目指す
江戸時代、飛騨街道に通じる中山道の中間地点にあることから「福島関所」が置かれ、要所として栄えた長野県木曽町。雄大にそびえる御嶽山を西に望みながら、開田高原へと続く国道361号線を車で走っていると“幻の蕎麦”の看板が現れる。 車を降りると、店の前にはモダンなペンションを思わせる板橋のアプローチ。渓流のせせらぎを聴きながら、雪化粧で覆われた森の中に歩みを進めると心が安らいでくる。およそ蕎麦屋とは思えない建物は店内に入っても続く。入口には木工のクラフトが並んだギャラリー、客席は木組みを残した天高の開放感溢れる空間が広がり、川沿いの大きな窓からは豊かな外光が差し込んでいる。外に広がる一面の銀世界に見とれていると、「あそこの巣箱にヤマガラとシジュウカラが子育てに来るんですよ」と店主の高田典和氏が教えてくれた。 すぐに供された蕎麦茶と蕎麦かりんとうをいただきながら、 少し話を伺った。 東京で商社に勤めていた高田氏は、余生を過ごす家として40代後半にこの地に建物を建てた。時を同じくして同僚の死を目の当たりにし「一度しかない人生。悔いを残さない道を歩みたい」と突然退社し、一念発起。蕎麦打ちの嗜みがあったかと思いきや「私も妻も、蕎麦が大嫌いでした。だからこそ、自分たちが本当に美味しいと思える蕎麦を追い求め、名高い長野で勝負したかったんです」と高田氏。まず、畑を借りて玄蕎麦の種を撒くところから始めた。灯油も買えないほど生活を切り詰め、誰にも教わらず脇目も振らず、試行錯誤を繰り返すこと3年。理想とする蕎麦が完成した。