世界遺産登録で日韓対立 徴用工「forced to work」への日本政府の立場は
「世界遺産」登録後にもひと悶着
こうして「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産への登録が決定したのですが、その後、日韓間で「強制労働」という文言に関して、またひと悶着起こりました。きっかけとなったのは、菅官房長官や岸田外相の「我が国代表団の発言は強制労働を意味するものではない」との説明です。これに対し、韓国で「日本は態度を変えた」という趣旨の批判が相次いだのです(例えば7月7日付東亜日報社説)。せっかく芽生えていた両国間の協力的雰囲気に水を差された形になりました。 何が問題だったのでしょうか。最初からの経緯を大きく見ていくと、「強制労働」であったことを理由に世界遺産登録に反対したのは韓国側です。これに対し日本側は、「強制労働」であったとは言えないが、妥協案を模索し、韓国側といったん合意しました。登録決定後、今度は日本側から「強制労働でなかった」と言い、韓国側が反発しました。つまり、決定前は「強制労働であったか否か」が、決定後は「強制労働でなかったか否か」が争いになったのです。
不必要だった?「強制労働ではない」
以上の議論は「強制労働」の有無に焦点が当たっていましたが、単なる言葉だけの問題でなく日韓双方ともに「強制労働に関する条約」を意識していました。この条約は1930年に国際労働機関(ILO)で採択された労働問題に関する基本条約の一つです。韓国側としては、日本はこの条約に違反しており、日本での労働は違法であったと主張するためであり、「強制労働」を認めさせることは日本の行為の違法性を確立する第一歩だったのでしょう。韓国内には、朝鮮人の労働は違法であり、日本に補償を求めるべきであるという意見が根強く存在しています。 また、韓国側では、朝鮮人の労働の根拠とされている「徴用令」は、日本側は有効とみなしているが、そもそも日韓併合やそれ以降の植民地支配が違法であり、したがって「徴用令」を朝鮮人に適用したことも違法であったという考えも見られます。 一方、日本側の法的立場は、朝鮮人の徴用問題は「1965年の日韓請求権協定で完全かつ最終的に解決済みである」ということです。「強制労働でなかったから解決済み」と言っているのではありません。「徴用令」については経緯を説明するために協定の中でも言及はしていますが、「強制労働ではなかった」という見解は法的主張ではありません。日韓請求権協定に基づく日本の法的立場は明快であり、揺らぐ危険はありません。韓国側から訴訟を起こされても、日本側が敗訴することは考えられません。 このように考えると、登録直後に日本側から「強制労働を意味しない」とコメントし、さらに岸田外相が7月10日、「強制労働には当たらないと考えます」と発言したのは、そもそも韓国側から「強制労働」を言い出し、両国の間で論争になっていたという経緯はあるにせよ、不必要なひと言であり、力士が勝負のついた後にもう一突き相手を突いた形になったと思います。