大谷翔平を甲子園で撃破…2012春夏連覇の大阪桐蔭“黄金世代”の副将はいま何してる? 白水健太が独立リーグ→高校指導者の道を選んだワケ
大阪桐蔭で春夏連覇→同志社大でも主将を務める
福井工大福井高校の監督に就任して、今夏で丸4年が経つ。 大阪桐蔭から同志社大に進み、4年生になると主将となりリーダーシップを発揮した。高校時代から面倒見のよい性格だったこともあり、高校野球の指導者になりたいという願望は持ってはいたが、どこかぼんやりしたものだったという。 「大学を出てすぐに指導者に……というのは当時あまりなかったんです。それよりも社会人野球も含めて、一般就職してもいいので社会を知りたいというのがありました。カッコよく言うと、野球がなくなった時の自分がどれだけ評価されるのかを知りたいというのもあったんです」 それでも野球はできるだけ続けたいと思っていた。ただ、普通に社会人野球の世界に進むのはどうか、という迷いもあった。 「自分みたいなレベルの選手は社会人野球に行ってもプレーできるのは長くて5年くらい。同志社でずっと頑張ってきて、声を掛けていただいたチームにすんなり入社して、そのまま引退して会社に残って……というのも、何かしっくり来なくて」
エリート街道から独立リーグに進んだワケは?
結果的に独立リーグの石川ミリオンスターズを進路に選んだのは「野球の勉強のため」だったという。 「プロを目指していた訳ではないんです。自分としては野球の“知識”をつけたかったのが一番の理由です。独立リーグで色んな世間を知りたかったというのもありました」 独立リーグと言えば、白水のような“アマチュア野球エリート”はごくわずかで、ほぼ無名に近い、ハングリー精神を持った選手がNPBを目指し全国から集まってくる。 だが、所属した1年間は何にも代えがたい貴重な時間だったという。 「すごく面白かったです。自分は中学時代も全国制覇を経験していて、高校でも甲子園で春夏連覇をして、手前味噌ですけど、チヤホヤされることもありました。独立リーグでは色んな経歴やキャラクターの選手ばかりで、正直、大阪桐蔭にいた時には聞いたことのない考えを持つヤツばかりだったんです。 でも、それが自分にとっては良かったです。色んな考えを聞いて『そういう考え方もあったのか』みたいに気づかされることばかりでした」 野球に対する考えの引き出しが、多くの毛色の選手の言動によって増え、野球観が広がった。四六時中を共にした“同志”との時間は実に濃密だった。 「でも、本当に色んなヤツがいましたよ。練習も”本気でやってるんかな? “って思うようなヤツもいましたし(苦笑)。それでも、真剣に自分に質問してくるヤツもいる。みんな一生懸命なんです。野球の脳みそしか使わないんですけれど、その中で、必死に野球をやっていたヤツらばかりでした。 指導者になって、俺が桐蔭でやってきたことをここでそのまま指導に反映させるだけでは無理があると思いました。こちらの価値観を押しつけたところで何も通じないし、そもそもここは福井。今、指導しているのは福井工大福井で野球をやりたいと集まっている子らなので。ただ、『こういうキャラクターの選手がいたら、どういう声を掛けていけばいいんかな』とか、壁にぶち当たることはあります」 そんな時は、独立リーグにいた時のメンバーに声をかけるのだという。 「ベンチ入りギリギリの選手との接し方とか、よく相談するんですよ。というより、むしろ独立リーグのメンバーの方が、そういう子の気持ちを分かっているんですよね。相談するたびに色んなことに気づかされます」 17年冬、母校でコーチとして指導を受け、当時福井工大福井の監督だった田中公隆氏から、チームの指導を手伝って欲しいというオファーを受けた。「色んな縁をたどってきた話。恩返しをする意味でも今が指導者になるタイミングなのかもしれない」と、白水はその話を受諾。石川ミリオンスターズを退団し、福井にやってきたのだ。 18年春からコーチとして田中監督の右腕となり、指導に携わった。寮に住み込んで親身になって選手と接し、“兄貴分”のような存在となった。その後、20年9月から監督に就任。 同志社大時代の同級生だった福井真吾を部長に迎え、21年春からは中学時代のチームの恩師で、近鉄・南海でプレーした山口哲治氏がコーチとして白水監督をサポートすることに。監督になり、体制を固めながらチームは聖地を目指していくことになった。
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