中山秀征が志村けんから学んだ「バカでいろよ」 “師匠”から教えてもらった明るく生きるヒント
ロケはお酒を飲みながら和やかに進み、そこから、プライベートでも飲みに行かせてもらうように。 師匠が行くのは、麻布十番の大衆居酒屋や、六本木の目立たない場所にあるおでん屋など、飾らないお店ばかりで、メンバーも決まって少人数でした。師匠と竜ちゃん(ダチョウ倶楽部の上島竜兵)と3人で、何度杯を交わしたことか……。 酒席では、ドリフ時代の思い出話や、コメディアンとしての哲学など、本当に貴重なお話を聞かせてもらいました。
それだけではなく「この間、ウンコ漏らしちゃってさぁ」なんて、しょーもないエピソードから始まる下ネタを聞きながらゲラゲラ笑い合ったりも……。 3人で過ごす夜は、いつも、あっという間に時間が過ぎていきました。 ただ、師匠が50代からライフワークにしていた舞台「志村魂」の前になると、酒席での様子も少し違っていて……。 あれは「志村魂」が始まった最初の年でした。稽古を終えた師匠と竜ちゃんに僕も合流して、六本木のクラブで飲んだ帰り、「最後に、軽くおでんでもつまんで帰ろうか」と、いつものおでん屋へ。時刻は午前3時になろうとしていました。
店に入っても師匠はどこか落ち着かない様子で、突然、竜ちゃんに「お前、それはどうなんだよ⁉︎」と大声で突っかかりました。 焦る僕を差し置いて、竜ちゃんも「いやいや、そうは言いましてもね!」と、結構マジなトーンで言い返す。 「言い訳すんでねぇよ! お前ェは!」と師匠も応戦し、延々とラリーが続きます。そう、突然舞台の稽古が始まったわけです。 長い長い2人のやり取りが終わって時計を見ると「ご、5時⁉︎」。あの志村けんの舞台を特等席で観られる贅沢な時間ではありましたが、さすがに朝5時までは厳しかった(笑)。
当時すでに、日本で最も多くコントを演じたコメディアンと言っても過言ではなかった志村師匠でも、やはり生の舞台のプレッシャーは相当のものだったのでしょう。 「志村魂」の時期が迫ってくると「どきどきするよ。ヒデ、俺だって緊張するんだよ」と言っていたのを思い出します。 ■「バカでいろよ」 師匠の言葉には他にも忘れられないものがたくさんあります。 志村さんは、お酒の席で、いつも「バカでいろ」と言っていました。