「井上尚弥は天才ではない」と父・真吾が断言する理由とは。「尚には素直さと愚直さがあった。いや、それは今でも」
24年5月6日、東京ドームにて、マイクタイソン以来34年ぶりとなるボクシングのタイトルマッチが開催。世界スーパーバンタム級4団体統一王者・井上尚弥選手(大橋)が、元世界2階級制覇王者ルイス・ネリ選手(メキシコ)に6回TKO勝ちをおさめました。「日本ボクシング史上最高傑作」とも呼ばれる尚弥選手をトレーナーとして、そして父として支えてきたのが真吾さんです。今回、その真吾さんが自身の子育て論を明かした『努力は天才に勝る!』より一部を紹介します。 【写真】尚弥さん・高3、拓真さん・高1のとき。共にインターハイ王者に輝いた * * * * * * * ◆「史上最強の高校生」として早くから注目を浴びて 尚は6歳からボクシングを始め、10歳のころにはプロをしのぐようなシャドーも見せました。 新磯高校(現・相模原青陵高校)一年で、インターハイ、国体、選抜の三冠を達成し、三年間で高校通算タイトルは五冠に輝きました。その他、三年時には、インドネシア大統領杯(プレジデントカップ)で金メダル、全日本アマチュア選手権も制し、高校生初のアマチュア七冠を達成しました。 それまでは現在帝拳ジムに所属している粟生隆寛選手が習志野高校時代に達成したアマチュア高校六冠が記録でした。前人未到とも言われたこの記録を尚が塗り替えると、「史上最強の高校生」として早くから注目を浴びました。 プロ転向後も四戦で日本ライトフライ級タイトルを獲得し、次戦の五戦目でOPBF東洋太平洋ライトフライ級も制しました。六戦で世界チャンピオン、その二戦後の八戦目で二階級王者となりました。そのために事あるごとに「天才」と書き立てられます。 「井上は別格だから」。 アマチュアの高校時代からよくそう評されるようになりました。出稽古で大学生相手にスパーリングに行っても、近い階級の選手は目を逸らし、20歳前後の選手には「やられるかもしれない」という雰囲気がありました。
◆尚弥は天才か 尚は天才なのでしょうか。 答えは「否」です。謙遜や嫌味ではなく、尚は決して天才ではありません。センスのあるなし、とよく言いますが、まるでない、とは言いませんが、「普通よりやや上」といったところです。 尚がそれなりに運動神経に恵まれていることは明らかでした。運動会のリレーの選手に選ばれたり、マラソン大会でも上位に食い込んでいました。球技もそれなりにうまいようで、友だちとサッカーをしていても活躍できたようです。 とはいえ、2015年夏の甲子園で活躍した早稲田実業高校の清宮幸太郎くんのような身体能力に恵まれたタイプではありませんでした。 つまり尚にはずば抜けた資質があったわけではないのです。積み重ねた努力によって今の尚があるのです。 尚が中学生のころから、それまではジムごとに非公式に行われていたキッズボクシングが「U-15」と名づけられ、後楽園ホールで全国大会が開催されるように体制が整えられつつありました。キッズボクシングの黎明期でした。 昔も今もボクシングジムに通っているお子さんはいます。ただ練習の成果を披露できる機会に乏しかった。ライバルとなるような同世代の子どもたちとの交流も少なく、競い合うような関係にまで至ることはありませんでした。 当時、ボクシングは高校の部活動ではじめて全国的な大会が設置されていました。野球やサッカーのように中学での全国大会はありませんでしたし、ましてや小学生が参加できるような大会はありませんでした。プロの試合の前座のエキジビションとしてスパーリングを披露する程度で、各ジムで個別に研鑽するしかなかったのです。
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